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日曜日, 6月 14, 2020

建築家とつくる家

現場のシート養生に大きく「建築家と作る家」と掲げた。建築の中身が伝わるように、コンクリートブロック積作業の一部を動画で載せています。

水曜日, 6月 03, 2020

スカート断熱

5月の週刊ブロック通信は、「スカート断熱」についてのレポートです。
積雪寒冷地の建築は、厳しい気候風土の制約のうえに成り立っているものだから、制約の少ない地域の建築とは異なる様々な創意工夫の技術があり、それが必要とされてきた歴史がある。そのひとつが、「スカート断熱」だ。


土曜日, 5月 30, 2020

ブロック積のショートビデオ~その1

コンクリートブロック積の様子をショートビデオにしました。
15センチ厚のブロックを軽々と持ち上げ水糸に沿って水平に並べる。微調整をするハンマー音だけが心地よく響く。静かな現場です。職人さんのマスクで息使いさえも聞こえない。
25秒のパフォーマンス。

木曜日, 4月 16, 2020

煙突と太陽光パネル

週刊ブロック通信の最新コラムです。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。

水曜日, 4月 01, 2020

ああ原点

1977年の文章を再録します。当時、弱冠26歳、仕事柄、環境や地域を考えだしたころ、北海道建設新聞という業界紙コラムに書いた。どういうわけか、時間経過を感じさせる黄ばんだ紙面が残っていた。いま思えば、日常の当事者意識ということを言いたかったのだろう。
当時サラメシで通ったレストランの壁にあったのを譲り受けた。石岡瑛子氏ディレクションで有名なポスター。

ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。

金曜日, 3月 20, 2020

軽量鉄骨梁ー3

私達はスパンをとばす場合に、コストと施工のしやすさから、軽量鉄骨梁を用いることが多い。構造体としての軽量梁重量は比較的軽く、構造上有利である。また、軽快な印象があって好ましい。今回は、半屋外カーポートでスパン6mを確保するため軽量鉄骨を採用した。

小屋群住居A~カーポート

火曜日, 3月 17, 2020

三角屋根×3

三角屋根をコンクリートブロックの矩形に載せた。三角はプリズム状のモノリシックな構造で横長の一室空間をつくる。三部作は25年前の設計。
ドミクリの家
K君の家
厚沢部の家

月曜日, 3月 16, 2020

薪ストーブ


クライアントの話では、堅牢な家、留守がちな共働きでも安心な家を求めたのは、1995年の阪神淡路大震災を教訓にしたからだという。以来25年が経過した。

そして2011年に発生した東日本大震災後は、電力需要を見直し、カーポート屋根上に太陽光パネルを取り付けてもいた。そうしたクライアントの想いを設計者の私が知ることになるのは、北海道胆振東部地震の2018年、数日間の大停電の教訓から「薪ストーブ」を検討したいとの相談が寄せられた時だった。

それから2年、水まわり設備などの改修工事と共に「薪ストーブ」が玄関ホールに取り付けられた。



金曜日, 3月 13, 2020

ロングテールのミッション

月一掲載のコラム「ブロック住宅の系譜」今月は、過去30年のブロック住宅30軒をグラフで振り返ってみました。私どもの限られた活動範囲内の統計ではありますが世の中の動きを反映していることは明らかです。これからもロングテールで継続していくことが最低限のミッション、そう週刊ブロック通信社編集長からゲキがきました。

火曜日, 2月 18, 2020

新しい計画

プロジェクト2020と題して、現在準備中の新築計画を「週刊ブロック通信~ブロック住宅の系譜」に掲載しています。今年中に竣工予定です。

木曜日, 2月 13, 2020

ヴァレンタインのチョコ

ことしも、息子のお嫁さんから届いた。可愛らしいヴァレンタインチョコレートです。外は屋根の雪が融けるような2月には珍しい暖かい一日になりました。ありがたい。

火曜日, 2月 04, 2020

ペーパークラフト版カスタマイズできる家

ペーパークラフト版カスタマイズできる家げできました。北海道十勝振興局のイベント用に子供向けに作成されました。会場にかかわる北海道の職員さんが図面を起こしてくれたものです。これは設計者として嬉しいですね。原設計図書の著作者・山之内建築研究所で急ぎ組み立ててみました。今回はコピー用紙を使用しましたが、もう少し厚手の用紙がおススメです。色紙でつくると面白いです。
A3版出力でおよそ1/100
コピー用紙で作ってみました。

木曜日, 1月 30, 2020

北海道建築技術協会の会報に収録されました

一般社団法人北海道建築技術協会の2020年1月会報に、小屋群住居Aが収録されています。

火曜日, 1月 21, 2020

GAJAPAN162~年の初めに

新年早々、本屋の行商人OさんがGAJAPAN162号を運んできてくれた。「建築2019/2020総括と展望、」という表題。Oさんが帰った後、おもむろに開いた。巻末近く「立衛散考ルイス・カーン2」に興味を持った。建築家・西沢立衛氏(以下立衛氏)が有名なルイス・カーンの建築論集「I love beginnings=わたしは元初を愛する」を読み解いている。最初に、ルイス・カーン(以下カーン)への感想と質問を持っている、と言う。テキストとして挙げている数冊は、私の本棚にもあるから、たぶん多くの建築家の本棚にもあるものだろう。私は、立衛氏がカーンに質問を持ちつつ読み進める姿勢に驚いた。そして立衛氏自身の建築設計の経験と重ねながらカーンの文章を消化吸収していく姿は実に見事だ。私は立衛氏が咀嚼してくれた栄養分を有難くいただく読者の一人。どれほどテキストを読み込んだらこのような論考にたどり着くのだろうかと…驚く。一般的に日本語は微妙なニュアンスを多様に表現できる言語と言われるのだが、英語もまたそうなのだろうと私は思う。beginning,beginnings,the beginningに見る数や冠詞の意味は深く大きい。立衛氏の文章が気づかせてくれる。ちなみに「立衛散考ルイス・カーン1」は、GAJAPAN161号巻末にある。そこには立衛氏のカーンとの出会い、が書かれている。

私自身のカーンとの出会いは、ほとんど予備知識なしにカーンの工事現場に足を踏み入れたことから始まる。1975年2月15日、その日は私自身の24回目の誕生日だった。4週間のインド・ネパール旅行の最終にバングラデシュを目指した。当時、首都ダッカは内戦や洪水の傷痕が残り、食料配給を待つ人々の行列や難民たちが累々と街中にあふれていた。私は、初めての土地にもかかわらず地図も持たず迷わず人力車に飛び乗り空港近くのバングラデシュ国会議事堂に向かった。実は、着陸する飛行機から建物の一部が運よく見えていたのだ。それは、工事現場そのものだった。議員宿舎棟が完成して職員が入居していたものの、ほぼ1年前、1974年3月17日にカーンが急逝した時点から工事がストップしていたようだ。私は、ちょうど出会った議事堂職員の案内で自由に見学することができた。と、いっても工事現場、勝手に見て行けといった具合で途中から職員もどこかに消えた。小一時間歩き回っただろうか。最初の場所に戻り振り返ると、先ほどの人力車夫が池でふんどし?一枚になって洗濯をしていた。私は、レンガ造建築群が白大理石で象嵌されたコンクリート造の議事堂を取り囲む全体配置がはっきり理解できた。その印象はレンガがことのほか強烈で、数週間前に見ていた仏教遺跡に建つレンガの塊ような仏塔が頭に浮かぶほどだった。それが、私のカーンとの出会い。今年、もう一度ルイス・カーンを読み直してみたい。

水曜日, 12月 18, 2019

コンクリートブロックマニア~キッチン

コンクリートブロックでいろいろな家具や器具を作ることができる。今回はキッチンを作った。コンクリートブロックはベースユニット、天板のステンレスを台座として支えている。内側にミーレの食洗器を格納した。独特の存在感は画像を見ていただくとわかる。


月曜日, 12月 16, 2019

コンクリートブロックマニア~ブロック造二重壁工法

左側から右側へ~外装材+空気層+断熱層+内部躯体、縦横つなぎ鉄筋。

「ブロック造二重壁工法とは、補強コンクリートブロック造を外断熱し、その外装仕上げにブロックを化粧積する工法をいう」(鈴木憲三氏、2006年日本建築学会技術報告集第16号より抜粋)北海道のコンクリートブロック造は、外断熱化の必要から内部を構造躯体に、外部を外装材とし、中間部に断熱層を設けた二重壁ブロック造住宅が出現して197080年代に一世を風靡した。内外共にブロックが見え、モノリシックでマッシブな壁体を表現でき、さまざまな設計の要望に応えることのできる工法になった。構造は、基礎と臥梁に挟まれたブロック壁体を鉄筋でつなぎ、ブロック強度および壁量と配置のバランスを考慮し調整する。中間部の断熱材は耐久性のあるポリスチレンボードを躯体側に固定する。外装材は帳壁として自立させ、倒れこみを抑えるためクランク状のつなぎ鉄筋を縦筋に絡め固定している。またコンクリートブロックの蓄熱性を生かした室内温熱環境が期待できる工法である。

土曜日, 12月 14, 2019

コンクリートブロックマニア~オキナワブロック

オキナワブロックは、魅力的な材料である。
「小屋群住居A」のキッチンと食卓に面するコンクリートブロック壁を何らかの方法で明るくする必要があり、いろいろ探している中でオキナワブロックという名称の透かしブロックいわゆる花ブロックに出会った。北海道の現場へ、生産地の沖縄から日本列島を縦断。




キッチン横のコンクリートブロック壁に14個のオキナワブロックを組み込む。光が透過する。

火曜日, 12月 10, 2019

連結農家、アノニマスな住居




最後の図は、数世代を経て成長した「連結農家」の姿です。南北方向に走る道路に沿って建てられた家屋が、道路に近いほうから順に奥へ向かって増築されています。風土の季節風の影響を避け、太陽の恵みを最大限に享受するかのように南側に庭が作られている。北海道と同じ冬の季節が厳しい米国NH(ニューハンプシャー州)の例です。また写真は、農家と断定することは出来ませんが同様に連結する建築として出会ったMA(マサチューセッツ州)の事例です。これらの観察から私の「小屋群住居」の発想が生まれたのです。

水曜日, 12月 04, 2019

ブロック造住宅の系譜20191125


週刊ブロック通信11月25日号に「北海道のコンクリートブロック団地」を寄稿しました。

11月12日に行った町営住宅の見学レポートです。
以下、文面を載せます。北海道のコンクリートブロック団地

1960年代から70年代にかけて、北海道で大量に供給された簡易耐火平屋建コンクリートブロック造公営住宅(簡平CB造)が、現在どうなっているのか知りたいと思っていた。先日、新ひだか町役場で公営住宅を担当する亀田主査の案内で静内神森(しずないかみもり)団地を見学する機会があった。馬産地として知られる日高地方は、太平洋と日高山脈にはさまれた海岸線に沿って街が点在している。静内神森団地はそうした街と海を見下ろす一画にある。今から10年ほど前、全面リフォーム工事された。トータルリモデルと呼ばれる公営住宅整備事業。構造性能を検証したうえでCB造躯体を残し改善された良質のストックをつくる。ここでは、簡平CB造棟は、5棟のうち2棟を解体し3棟配置とした。隣棟間隔を広げ、駐車スペースを確保。長屋形式の4戸1棟となる。
今回、事前に5~60年前の簡平CB造も見学し、全面リフォーム後の変化が確認できた三点について述べたい。第一に、躯体コンクリートブロックをそのまま残したことが最大の特徴。外部は、スカート断熱を採用した基礎断熱で全面外断熱された。開口部は樹脂サッシでペアガラス。熱交換換気を組み合わせて高性能な温熱環境を確保している。
第二に、内部は床下全面に捨コン打設し束立て床組みすることで室内化した。改変されたのは、水まわり、床の段差、建具の幅など、
内部の飛躍的な変化が見られた。第三に、居住者と管理者の関係。当事者間のやり取りから合理的に考えられている、ガス機器などはリース契約。居住者への配慮も多く、玄関前に増設された木造ポーチは寒い北風と積雪から守ってくれる。玄関まわりでは居住者による改変が見受けられた。ファサードに愛着とアクセントを作り出しているのだが、こうしたことも住宅風景として大切なことだ。
第一種換気の給排気フードが小屋根に見える。
外断熱のため外壁総厚が300mm程度になる。

火曜日, 12月 03, 2019

小屋群住居を考える1


20191129日の建築学会北海道支部建築作品フォーラムにおいて、
司会者から質問があった件の説明です。

小屋群住居は、個室群住居とどう違うのかという質問がありました。
想定していなかった質問なので、正直なところ答えに窮しました。
ここで改めて考えをまとめてみようと思いブログにしました。
司会者が言う個室群住居とは、1970年前後に黒澤隆さんが発表したもので、
家族の関係性をいわば抽象化してプランニングに落とし込んでいくものです。
具体的には、家族の例えば夫婦の個室をそれぞれ独立したプライベート空間とし、
居間などの共通部分をパブリック空間と定義、その関係性を考察するものでした。

その後、昭和から平成の時代の中で家族の在り方とその多様性に対応するように、
建築領域よりはむしろ社会学の分野でより深化し展開した問題意識と考えています。
家族意識やいわゆるジェンダー論、上野千鶴子さんの女性学などの方向でしょうか。

黒澤隆さんの個室群住居は、抽象化した優れたプランニング論であったと思います。
一方、私の小屋群住居は、むしろ具象化でありデザイン方法論だと思っています。
日常生活が営まれるアノニマスな建築観察から発想したタイポロジ―で、建築的です。


例えば建築家なしの建築に見られるような長い時間をかけてつくられた群としての建築をはじめから仕掛けることによって、物語性を建築に与えることができると考えたのです。
幾世代もにわたり増築されてきた農家住宅を観察すると、物語を発見することができる。
そうした物語には豊かな人間の歴史が語られているものです。
そのプロセスを逆にさかのぼる。あえて初めに形をつくるアプローチがあると思います。

小屋群住居は、具体的な家族の風景を込めた住居単位(小屋)をつなげていくこと、
いわば具象を抽象的に構成するプロセスを建築化する作業です。
最近出会った言葉があって「歴史を模倣する」という言葉ですが、
これが妙に腑に落ちました。
模倣は、データを駆使するAIが得意な分野ですから、これからの時代に展開していく予感があります。

どなたか一緒に考えてくれる方がいらっしゃいましたら是非お声をかけてください。