村野藤吾が88歳の時に日本建築学会誌-建築雑誌1979年7月号で「建築教育考」を論じている。
どれだけ社会的・客観的な条件に従っても、建築家には誰にも侵されない「1%」の領域があり、そこに建築家の独自性や創造性が宿るとし、この1%が全体を支配することもある。これが、村野藤吾の考える「建築家と建築」というのだが、1%を守るのは実は大変なことだ。
ふとPCにたまった資料の中から目に留まり読み返している。私は、1979年の暮れから3年間、東京にいたのだが、村野さんの新高輪プリンスホテルの工事が始まっていたころと重なる。私が建築学会誌を読むようになったのは翌年からだから、リアルタイムでは読んでいない。後に探し出して読んだ。設計に対する厳しいまなざしと勇気ある姿勢が行間から読み取れる論考だ。
neko sketch -yamanouchi













修理後の浦河教会椅子~座面の下に聖書置場
修理前~背もたれ部が破損していた