新年あけましておめでとうございます。2015年、どのようなことが待っているのでしょうか?
希望に満ち溢れた一年でありますように、期待を込めてこの一年をスタートしたいと思います。
雪に埋もれた庭の隅に植えたプンゲンストウヒの枝を利用し注連飾り(しめかざり)をつくりました。
新芽は自由に広がり、ちょっと太い枝から伸びて、水引は干支の羊の角を控え目に表現しました。
金曜日, 1月 02, 2015
日曜日, 12月 28, 2014
北広島のコートハウス
ちょっとフライング気味ですが、週間ブロック通信(1月1日号)が届いたので載せてみました。
今回は、北広島の家。かれこれ18年前の設計です。長く使えるようにと、メンテナンスフリーを心掛けました。居間から庭へ出る木製デッキだけは通常のツーバイ材に塗装のみでしたから、腐食が進んで取り換えることになりましたがあとは問題ありません。コート掛けやロッカーなどの固定家具から、食卓テーブルとイス、ソファーとセンターテーブルなどの可動家具まで特別に家具屋さんと協働してデザインしました。かけたエネルギー量に比例して長持ちするようなそんな気がしています。しっかり仕事してよかった、と感じるこのごろです。
今回は、北広島の家。かれこれ18年前の設計です。長く使えるようにと、メンテナンスフリーを心掛けました。居間から庭へ出る木製デッキだけは通常のツーバイ材に塗装のみでしたから、腐食が進んで取り換えることになりましたがあとは問題ありません。コート掛けやロッカーなどの固定家具から、食卓テーブルとイス、ソファーとセンターテーブルなどの可動家具まで特別に家具屋さんと協働してデザインしました。かけたエネルギー量に比例して長持ちするようなそんな気がしています。しっかり仕事してよかった、と感じるこのごろです。
月曜日, 12月 15, 2014
住宅の現場から
月曜日, 12月 08, 2014
ガラスブロックで家の中に部屋をデザイン。
2階に12㎡のオープンスペースがあります。80cm幅の通路を残し、8㎡(約5帖)の子供室をつくることになりました。クライアントの要望は、①居間の上なのでTVの音が聞こえないようにしたい、②もともと明るく開放感のある場所だったのでその雰囲気を残したい、③収納は充実させたいというものでした。
そこで、私はガラスブロックを使い、光を透し音は遮断する壁と収納壁の組み合わせを提案しました。ガラスブロックには、すぐれた遮音性能(500Hzで透過損失38dB)があるからです。これは100mm厚の軽量コンクリート板いわゆるALC板(500Hzで透過損失34dB)を上回る性能なのです。もちろんガラスブロックは相当程度の光を透過する性質があります。(可視光線透過率は28%)
ガラスブロックを用いることで、クライアントの要望を100%達成するデザインとなりました。
(データは全て日本電気硝子株式会社の技術資料による。)
今回は子供部屋でしたが、ちょっとした書斎や茶室、アトリエなどさまざまな展開を考えると面白いです。
2階のオープンスペースをガラスブロックで囲う |
ガラスブロックを透過する外部からの自然光 |
解放感がある室内 |
オープンスペース、部屋をつくる前の状態 |
吹抜側の手摺はそのまま残している |
月曜日, 10月 27, 2014
木彫りのクマ
「北海道の木彫り熊の考察」という本が出版された。著者は山里稔さんという。ご縁があって、懇意にさせていただいている。玩具などない半世紀前のこと、私は畳の上で木彫りのクマにまたがって遊ぶのが楽しかった。記憶に残っている限り、唯一の遊び道具だった。最近、年老いた母にそのクマのことを聞いた。「私が嫁ぐとき、父が持たせてくれたんだよ」と。母の記憶は確かだ。母の父、私の祖父は当時国鉄マンで奈井江駅長だった。作者の堀井清司氏は奈井江町在住、顔見知りの祖父が一体のクマの木彫りを譲り受けたという。そんな話をつい最近聞いたのだった。そんな折、山里稔さんが木彫り熊の本を出すという情報を得た。すぐに我が家にあるクマを持参してお話を伺った。北海道の愛すべきそして精緻なクラフトとして、木彫り熊は見直される価値がある。
我が家にある木彫りクマ。伝 堀井清司作。銘はない。 |
木曜日, 10月 23, 2014
小屋群住居O
今月の週間ブロック通信~ブロック造住宅の系譜は、「小屋群住居O」です。一軒の戸建住宅から街並を目指そうとする野望を秘めています。北海道のコンクリートブロックは綺麗です。職人さんも上手です。もくもくと積んでいく、モルタルを詰めるコテの音しか聞こえない本当に静かな建設現場です。壁式構造で耐震性に優れ、躯体蓄熱が期待できる。耐用年数つまり長寿命の建築物だから将来のリノベーションにも対応できる。木材との相性もいい。土地の素材からできた住宅なのです。
コンクリートブロックをスケルトンに、そして多様なインフィルを組み合わせ「小屋群住居O」ができました。
月曜日, 9月 01, 2014
住宅着工件数
平成25年の住宅着工件数の統計を見たところ、北海道内の戸建コンクリートブロック造住宅は前年と同じ1軒で、それも私の所で設計したものが唯一のようだ。全国的に見ても、沖縄を除くとほとんど無いに等しい。なぜこうなったのだろうか。外断熱工法と組み合わせ、比較的安価に出来ていたコンクリートブロック住宅がいつの間にか姿を消した。長年かかわってきたものとして、見過ごすわけにはいかないという思いがある。
数年前から、コンクリートブロック住宅の衰退が危惧されてきた。有効な手立てがないまま数年が経ち、今日に至っている。一方、既存のコンクリートブロック住宅をリノベーションして再生利用する、という試みが成功しているという。こうした状況を大局的に俯瞰する目がいま求められているのだろう。だれか、シャープな分析と次の一手を示唆してほしいものだ。
数年前から、コンクリートブロック住宅の衰退が危惧されてきた。有効な手立てがないまま数年が経ち、今日に至っている。一方、既存のコンクリートブロック住宅をリノベーションして再生利用する、という試みが成功しているという。こうした状況を大局的に俯瞰する目がいま求められているのだろう。だれか、シャープな分析と次の一手を示唆してほしいものだ。
火曜日, 7月 29, 2014
坂の町の景観
7月の週間ブロック通信に載せた文章です。坂の町、小樽の住宅を再録しました。1970年代、地元北海道で建築設計の仕事についた頃、まさに小樽運河を埋め立てか、それとも存続させるのかの一大論争が起こっていました。ほとんど使われなくなった運河はヘドロが堆積し、悪臭を放ちゴミに埋もれ見捨てられていました。夏には海水浴客で渋滞する札幌から余市に抜ける道路を運河を埋め立てて造ろうという埋立推進派と、貴重な歴史と景観を守り取り戻そうとする保存派との争いでした。都市景観として、山から海に向かって幾筋も伸びている坂道を、高速道路で分断してはならないだろう、というまともな話。いまでこそ一般的になった、地域の歴史や景観が経済的な価値にまで高まるはずという読みもあり、最終的には運河の大部分を現在の姿に保存。そうした小樽とのかかわりの中から生まれた住宅です。
水曜日, 7月 09, 2014
久しぶりのリプラン北海道
「小屋群住居K」(Hut Dwelling K)リプラン北海道150号に掲載させていただきました。
若いカップルの小さな住宅なのですが、小屋群としたのにはちょっとしたわけがあります。
札幌市の端から端まで相当の距離を敷地探しのお付き合いをしていく過程で目にした住宅地の現在。それに対する建築家としてのメッセージを、たかだか1軒の住宅ですが意味を込め発したい。
最初に訪れた江別市大麻(おおあさ)地区は、ゆったりと計画された良質な成熟した住宅地です。
高齢化が進んだせいで土地の出物がありました。しかしもともと100坪単位の大きな区画であったため、過剰な出費が予想されたクライアントには荷が重かったようです。
そして、札幌市の郊外で手ごろな敷地を物色したのですが、こちらは新しすぎて西部開拓史のような一夜にして建ったかのような町の風情がなんとも心もとない印象でしたが、未来を信じて決めることに…
数十年後には良質な成熟した住宅地と称されるように、連なる民家のような風景を期待しました。
そのために、1軒でも連なって見える住宅の集合体を思い描いたのです。
それが、「小屋群住居K」(Hut Dwelling K)となりました。
若いカップルの小さな住宅なのですが、小屋群としたのにはちょっとしたわけがあります。
札幌市の端から端まで相当の距離を敷地探しのお付き合いをしていく過程で目にした住宅地の現在。それに対する建築家としてのメッセージを、たかだか1軒の住宅ですが意味を込め発したい。
最初に訪れた江別市大麻(おおあさ)地区は、ゆったりと計画された良質な成熟した住宅地です。
高齢化が進んだせいで土地の出物がありました。しかしもともと100坪単位の大きな区画であったため、過剰な出費が予想されたクライアントには荷が重かったようです。
そして、札幌市の郊外で手ごろな敷地を物色したのですが、こちらは新しすぎて西部開拓史のような一夜にして建ったかのような町の風情がなんとも心もとない印象でしたが、未来を信じて決めることに…
数十年後には良質な成熟した住宅地と称されるように、連なる民家のような風景を期待しました。
そのために、1軒でも連なって見える住宅の集合体を思い描いたのです。
それが、「小屋群住居K」(Hut Dwelling K)となりました。
「北の建築家」欄に掲載された「小屋群住居K」ページ |
リプラン北海道WEBサイトより転載 |
火曜日, 7月 08, 2014
緑を生かすコンクリートブロック
先日、今年着工予定のコンクリートブロック住宅を確認検査機関に持ち込んだところ、珍しがられてしまいました。昨年は、私の所で1件だけでしたね。などとほとんど絶滅危惧種状態です。まだまだ職人さんも健在ですし材料も生産されていますから、途絶えさせてはいけませんね。というわけで、週間ブロック通信最新号に25年前のコンクリートブロック住宅を掲載しています。
月曜日, 6月 02, 2014
木を生かすコンクリートブロック
週間ブロック通信の最新号です。「木を生かすブロック」として、竣工後ちょうど今年で20年目になる住宅に焦点を当てました。外断熱の外装材に木材を使用した例です。当時の法規を遵守し自主耐火建築で延焼ラインにかからない範囲を木羽目板張としています。
火曜日, 5月 13, 2014
アートは基礎が命
長沼でアトリエMOMOの設計を完成させたころ、丸山隆さんが長沼町内に設置する彫刻を制作することになった。巨大な南アメリカ産の花崗岩をもちいて、大地に座標軸を描くようなイメージの遊具のような彫刻だった。子供たちが平均台のように彫刻の上を歩き回ることを思い描いた作品だ。したがってしっかりと地面に固定されていなければならない。ある日、石の巨大な彫刻をどう支えたらいいのだろうかという相談を受け、私の事務所で基礎の構造設計をしましょうということになった。そうして、出来上がったのが「触知座標」だった。
美しい彫刻をしっかりと地面の下で支えるのも私たちの仕事。
美しい彫刻をしっかりと地面の下で支えるのも私たちの仕事。
丸山隆「触知座標」1994年 長沼町コミュニティ公園内(夕張郡長沼町) 撮影/並木博夫氏 写真提供/札幌市芸術の森美術館 |
水曜日, 5月 07, 2014
長沼のアトリエ
2階打ち合わせ室は、軽量鉄骨下地の露出仕上げ。 |
外観 |
内部:赤いらせん階段は、丸山さんの自作。 |
金曜日, 5月 02, 2014
以前の仕事から
ホームページの更新をしていて、以前の仕事を振り返ることがあった。そもそも建築は、サインや家具などいろいろな要素を組み合わせて成り立っている。公共性が高くなればなるほどそうした要素は増えていくものだ。私が独立する前後、彫刻家・丸山隆(1954〜2002)さんとの思い出がある。最初は、札幌市中央図書館のアトリウムに設置するオブジェでの出会いだった。当時勤務していた設計事務所の設計担当者だった私は、図書館と埋蔵文化財センターとを動線的に分けるためにアトリウムを象徴的に設けた。オットーワグナーのウィーン郵便貯金局とジェームズ・スターリングのレスター工科大学のガラス屋根、そして内井昭蔵さんの世田谷美術館のガラス天井が当時の私の頭に去来していた。できるだけ自然光を取り込み、それも直接光ではなく天空光の状態で拡散された影のできない場が結果的にできた。そこに、椅子ともサインともいえそうな巨大な彫刻を置いてくれたのが丸山隆さんだった。
札幌市中央図書館アトリウム:撮影/並木博夫氏、写真提供/札幌市芸術の森美術館 |
金曜日, 4月 18, 2014
火曜日, 3月 04, 2014
IT環境を整備中
今月末のwindowsXPサポート終了!の影響は、我々のようなSOHOにも及んでいる。実は来月から非常勤で通っている大学ではwindowsXPのPC使用禁止が決まっていて、私の古いパソコンを持ち込めない。プロジェクターを使用して授業を作るので、画像を取り込んだパソコンが必携。
他にも同様にOS変更を約束しているインターネット経由で仕事のやり取りをする相手がいる。
そのような事情で、我がSOHOも久しぶりにIT環境を更新することになったというわけだ。
写真は、これから私の相棒となるMacBookAir。直径39cmのサイドテーブルにもぴったり収まる。
キーボードとディスプレイのみの超シンプル構成。ディスクドライブは外付け用を用意。MacPCを半分windowsに分けて稼働させるため、Bootcampでストレージの45%をwindowsに、残りの55%はMacに仕切った。
なにせ、1990年代はMacintosh LC2を導入していたのだがいつの間にかwindowsになっていた。
ここにきて、我がSOHO開設当時のMacを導入することになった。そこには感慨深いものがある。
たかだか20年の間にIT環境は劇的に変わったことをITリテラシーの遅れている私でも痛感するからである。私だけかもしれないが20年前といえばパソコンのアウトプットを手書きで修正して成果品にしていたような時代だった。今や実務を知らない学生さんの美しいプレゼンテーションがリアリティを持つかのように見える時代だ。それもいいのかもしれない。目の前に投げだされた美しいビジョンにいつか追いつくことができれば。建築という実態を伴って。古いパソコンを入れ替えるというただの環境整備なのだが、そのようなことを考えさせる美しい1台だ。
他にも同様にOS変更を約束しているインターネット経由で仕事のやり取りをする相手がいる。
そのような事情で、我がSOHOも久しぶりにIT環境を更新することになったというわけだ。
写真は、これから私の相棒となるMacBookAir。直径39cmのサイドテーブルにもぴったり収まる。
キーボードとディスプレイのみの超シンプル構成。ディスクドライブは外付け用を用意。MacPCを半分windowsに分けて稼働させるため、Bootcampでストレージの45%をwindowsに、残りの55%はMacに仕切った。
なにせ、1990年代はMacintosh LC2を導入していたのだがいつの間にかwindowsになっていた。
ここにきて、我がSOHO開設当時のMacを導入することになった。そこには感慨深いものがある。
たかだか20年の間にIT環境は劇的に変わったことをITリテラシーの遅れている私でも痛感するからである。私だけかもしれないが20年前といえばパソコンのアウトプットを手書きで修正して成果品にしていたような時代だった。今や実務を知らない学生さんの美しいプレゼンテーションがリアリティを持つかのように見える時代だ。それもいいのかもしれない。目の前に投げだされた美しいビジョンにいつか追いつくことができれば。建築という実態を伴って。古いパソコンを入れ替えるというただの環境整備なのだが、そのようなことを考えさせる美しい1台だ。
土曜日, 2月 15, 2014
バレンタイン&バースデー
昨日、東京に住む息子のお嫁さんからチョコが送られてきた。まるで水彩絵具箱のようなカラフルで素敵なチョコレートです。でも、もったいなくて、すぐには食べられません。
バレンタインデーの翌日が私の誕生日なので、一緒に祝ってもらえるようです。
嬉しいですね。
ところでパティシエ・サダハルアオキって誰! サダハル・オーなら知っている私ですが…
火曜日, 1月 07, 2014
2014年の始まり
2014年、新年の始まりです。初BLOGをUPしたいと思います。
今年は何かと節目がありそうです。
4月WINDOWS XPのサポート終了なので、このところ適当なノートPCを物色しています。
また4月は、私が1974年に社会人として建築設計事務所で働き始めてから40年の節目にあたります。
40年前の3月の中旬、大学卒業記念にと研究室の先生の発案で、東京を中心に見学旅行をしたことを思い出しています。当時、研究室は私とK君の2名、下級生を募って総勢10名程度のグループで行くことになりました。卒業した先輩を訪ねたり、1週間ほどの建築見学旅行でしたが、今も記憶に残る出来事でした。
北海道には3月18日の卒業式に間に合うように戻ってきました。後で知ったことですが丁度その日にルイスカーンがインドからの帰路に帰らぬ人となりました。今年は敬愛するルイスカーンの没後40年でもあります。
今年、新たな気持ちで建築に向かう年にしたいと思います。
庭の積雪は1mに達しています。 |
真冬でも北国の猫はたくましいのです。 |
月曜日, 12月 30, 2013
12月30日
今年のBLOG(ブログ)UP数は50件、なんと例年約100件の50%程度でした。原因は、FB(フェイスブック)のUPにありました。FBのUP数を合算すると100件弱で、丁度年平均UP数になっていました。月平均7~8度のUP、4日に一度のUPという頻度です。反応がリアルタイムに見えるFBの良さはBLOGでは得られない会話そのものの醍醐味です。一方、過不足のない情報やまとまった考えを伝えることのできるBLOGの発信力というのも、FBを使っていく日々再認識することになりました。FBがフロー情報であるならBLOGはストック情報です。当然、フロー情報の中にもストックすべき情報もあります。より多角的で多様な情報のなかから、留めておきたい必要としている情報を落とし込むのが私にとってのBLOGの役割かなと思っています。
今年、キンドルペーパーホワイトというモノクロ版電子書籍を入手して読んでいます。読み終えたものもいつも引っ張り出すことができるので、本棚ごと持ち歩くような感覚に近い。
「あの日からの建築」伊東豊雄著(集英社新書キンドル版)は、最近読んだものの中で考えさせられる一冊だった。あの日とは、言うまでもなく2011.3.11なのですが、ご自身が設計した「せんだいメディアテーク」の被災体験から、それまでの建築を通して思考してきたことを実に真摯な向き合い方で一気に吐露しています。被災地に真っ先に呼ばれることのない「建築家」の立ち位置について、実社会を反映しない概念優先の「大学」の建築教育について、伊東さんの柔和な外見からは想像もできない激しく鋭い言葉が紡ぎ出されています。読み終えて、戦場は異なっていても私も日々戦わなければと思う一冊でした。
今年、キンドルペーパーホワイトというモノクロ版電子書籍を入手して読んでいます。読み終えたものもいつも引っ張り出すことができるので、本棚ごと持ち歩くような感覚に近い。
「あの日からの建築」伊東豊雄著(集英社新書キンドル版)は、最近読んだものの中で考えさせられる一冊だった。あの日とは、言うまでもなく2011.3.11なのですが、ご自身が設計した「せんだいメディアテーク」の被災体験から、それまでの建築を通して思考してきたことを実に真摯な向き合い方で一気に吐露しています。被災地に真っ先に呼ばれることのない「建築家」の立ち位置について、実社会を反映しない概念優先の「大学」の建築教育について、伊東さんの柔和な外見からは想像もできない激しく鋭い言葉が紡ぎ出されています。読み終えて、戦場は異なっていても私も日々戦わなければと思う一冊でした。
土曜日, 12月 21, 2013
スクリーンレンガ
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