週刊ブロック通信5月24日号に掲載のコラム「住宅の庭づくり」です。今回は、庭が主役で背景に住宅があります。そもそも建築の外観は何かの背景で、特に街歩きの他者にとっては単なる目印。知らない街を巡り歩くときなどは、街の背景として建築を私たちは意識している。
今回の住宅の庭づくりは、庭から周囲の住宅景観をどう眺めるのかあるいは眺めないようにするのかといった、庭からの眺めづくりだった。一番大切な背景は自身の住宅になる。
週刊ブロック通信5月24日号に掲載のコラム「住宅の庭づくり」です。今回は、庭が主役で背景に住宅があります。そもそも建築の外観は何かの背景で、特に街歩きの他者にとっては単なる目印。知らない街を巡り歩くときなどは、街の背景として建築を私たちは意識している。
今回の住宅の庭づくりは、庭から周囲の住宅景観をどう眺めるのかあるいは眺めないようにするのかといった、庭からの眺めづくりだった。一番大切な背景は自身の住宅になる。
現在は眺めるだけの風景になった感がある手稲山そして事務所の中庭を同時に見ている。 太陽光によりさまざまに変化する雪景色は好きなのだが暖かい春が待ち遠しい。手稲山頂は西で庭は南にあり自然の光の演出を楽しむことができる。
手稲山頂が事務所の高窓から見える庭が事務所の地窓から見えるダブルサークルハウスの構造躯体は一番内側にあって、最初の円状壁をつくる。微視的に見ると円ではなく多角形なのだがツルツルのガラス曲面とは異なったザラザラな質感を微妙に出来るブロック積の影がつくる。天井はコンクリート打放のスラブ、床はスレート自然石材。風通しはここでの主眼、大開口引戸から曲面壁を伝って取り込む涼風をイメージしている。
2月25日午後、コンクリートブロック造の可能性を考えるシンポジウムが日本建築学会、北海道建築技術協会、全国コンクリートブロック工業会、三団体の共催で開催された。「組積造は世界的に広く活用されている工法だが、特に開発途上国では甚大な地震被害を被ってきている。一方、日本では、補強コンクリートブロック造が、戦後、廉価な耐火性、耐震性の構造として広く活用され、災害に対する強靭性を実証してきた。こうした中、ブロックが広範に使われているフィリピンを対象にして、…中略…日本の補強コンクリートブロック造を紹介、普及するプロジェクトが進められている。」(シンポジウム趣旨説明より)私は、「寒冷地における快適な生活の実現ー寒地のCB造住宅と蒸暑地域に適した設計の試み」と題して、15分間発表した。
1.北海道の文脈によるブロックの歴史、2.北海道の寒地住宅の特徴、3.新解釈のブロック造の提案、4.蒸暑地域に適した設計提案の順にお話しした。1.では1970年代から90年代にかけて世界的にブロック造建築がドライブした歴史があり、北海道も例外ではなかった。そのためブロックには愛着や郷愁すら覚えるのである。2.では寒さと闘うブロック住宅が室内に半戸外的な要素を取込み独自のシンプルコンパクトな住様式を成立させ、さらに家族のコミュニケーション時間の増大を獲得した。3.では私共の設計活動30数年間におけるコンクリートブロック住宅から特徴的な2例を紹介した。4.では二重積ブロック工法の外壁を再解釈し、内側の構造躯体と外側の自由なファサードに2分解したダブルサークルを提案した。外側は、ウインドキャッチャーとなる開口率30%の花ブロックを想定している。これは、オンラインで結んでいた沖縄の建築家に好評であった。内側は、北海道建築技術協会で考案中の木造モジュールブロックを想定する。
沖縄の花ブロックは是非使用してみたい。そのような想いで作ったパース。
(ダブルサークルハウス・2021 設計/山之内裕一 パース製作/田名部伸紀)
北海道の人はコンクリートブロックへの愛着がありますね。先日、コンクリートブロックのオンライン会議で本州の参加者から言われた。なるほどそうかも知れない。どうしてなのだろう?と考えて、ふと思い出した一冊。1975年2月発行のニコンシステムガイドつまりカタログで当時札幌にあったソヤマ写真館でカメラ購入時に頂戴したもの。今、執筆者を見ると写真誌。それほど詳しくない私でも、土門拳、細江英公、奈良原一高、立木義浩、そして篠山紀信はわかる。北海道の南を移動している時に道端で見かけた廃屋を撮ったものだと説明があった。北海道には胸を打つコンクリートブロック風景が身近にある、いやあったのだということをこの一枚が証明している。このカタログには北海道の風景が他にもたくさん載っている。永久保存版。
現在、とある教会堂を設計している。設計というのは、いろいろ地道な作業が必要で、設計する建物に関連した資料を集める地味な作業もその一つだ。しかしgoogle検索で瞬時に様々な情報を集められる現在は、パソコンに向かう意思さえあればそれほど退屈な時間ではない。それどころか興味をそそられ、つい横道にそれてしまう情報に出会うこともある。
昨年、教会堂の画像検索をしていて、白い壁にカラフルなステンドグラスのある小さな教会堂が目に留まった。アンリ・マティスの設計したロザリオ教会堂だった。私が初めてマティスの絵を意識したのは、池田満寿夫が「美の王国の入り口で」の文中でMOMA所蔵の「ダンス」に感動した、という文章を読んだ時だった。いつか本物をと思ってはいたが、十数年前NYに行くことができた時は当の美術館が増築工事中で入ることすらできなかった。今年、国立新美術館でマティス展が予定されているという。そこにはロザリオ教会堂の展示もあるという。コロナ禍が収束していたら是非観たいものだ。その前に、この一冊を読んでおこう。
2006年完成の「美しが丘の家」は現在のオーナーが3代目。歴代で最も若い世代。そのせいなのかは不明ではあるが、改修はオリジナルに近づけたいという要望。設計者としては嬉しい限り。実は、その間のオーナーたちは私が予想もしなかった、こういう手もあったと思わせる改修をしてくれていた。それはそれで良かったが、設計者を立ててくれるのは正直ありがたい。
朽ちていたウッドデッキは、コンクリートの一枚スラブに変身した。隣地に倒れこむ枕木の擁壁は地中に鉄筋バックアンカーを打ちターンバックルで締めた。木製サッシは、風化具合を点検しながら汚れ止めを兼ねて黒に塗装した。15年目を迎える外壁のコンクリートブロックは全く問題ない、いい具合にエイジングしている。外装材としてのコンクリートブロックは、優秀だ。
オーナーは、家具のコレクターでもある。ピート・へイン・イークの机が鎮座している。