週刊ブロック通信に「江別の平屋」が掲載されています。
写真は佐々木育弥さん。クライアントを画面に取り込むのが上手い。水曜日, 10月 21, 2020
金曜日, 10月 16, 2020
日曜日, 10月 11, 2020
カーポートは外の部屋
10月になって、冬タイヤの交換日を予約することになった。もうすぐ、白い雪の季節がやってくるのだ。本当は、雪をこの目で見てから慌てて車のディーラーの担当者に連絡するのがお約束で、今年はまだ雪の気配がないからと高をくくっているつもりだった。天気予報と仕事のスケジュールをにらみながら、雪と競争するような感覚が楽しかったのだが、そうした慌ただしさを楽しむ体力が無くなってきた。雪国では、車に対してもひと手間かけなければならない。
水曜日, 9月 30, 2020
内覧会(オープンハウス)無事終了しました
26,27の両日、開催した「木とコンクリートブロックの家」の内覧会(オープンハウス)が無事終了しました。直前のご案内にも関わらず、たくさんのご来場を感謝しています。
また、クライアント様のご協力を得てこうした内覧会の機会を作りたいと考えています。
金曜日, 8月 21, 2020
月曜日, 7月 20, 2020
水曜日, 6月 24, 2020
道具の周辺
道具の周辺、という記事を、週刊ブロック通信「コンクリートブロック住宅の系譜」に掲載しました。ブロック工事における詳細を記録するうえで必要な職人の道具を現場取材したものです。何一つ特殊なものはなく、他の工事でも使用されている道具が多くあります。つまり、左官工と鉄筋工、および大工に共通する工事なのだと道具から再認識します。平均10キログラム程度の重量物を片手で持ち上げる筋力が欠かせない力仕事ですから、筋力をアシストする最近の道具も必要になるのではないでしょうか。
日曜日, 6月 14, 2020
水曜日, 6月 03, 2020
スカート断熱
5月の週刊ブロック通信は、「スカート断熱」についてのレポートです。
積雪寒冷地の建築は、厳しい気候風土の制約のうえに成り立っているものだから、制約の少ない地域の建築とは異なる様々な創意工夫の技術があり、それが必要とされてきた歴史がある。そのひとつが、「スカート断熱」だ。
土曜日, 5月 30, 2020
ブロック積のショートビデオ~その1
コンクリートブロック積の様子をショートビデオにしました。
15センチ厚のブロックを軽々と持ち上げ水糸に沿って水平に並べる。微調整をするハンマー音だけが心地よく響く。静かな現場です。職人さんのマスクで息使いさえも聞こえない。
25秒のパフォーマンス。
木曜日, 4月 16, 2020
煙突と太陽光パネル
週刊ブロック通信の最新コラムです。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。
水曜日, 4月 01, 2020
ああ原点
1977年の文章を再録します。当時、弱冠26歳、仕事柄、環境や地域を考えだしたころ、北海道建設新聞という業界紙コラムに書いた。どういうわけか、時間経過を感じさせる黄ばんだ紙面が残っていた。いま思えば、日常の当事者意識ということを言いたかったのだろう。
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
当時サラメシで通ったレストランの壁にあったのを譲り受けた。石岡瑛子氏ディレクションで有名なポスター。 |
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
金曜日, 3月 20, 2020
軽量鉄骨梁ー3
火曜日, 3月 17, 2020
月曜日, 3月 16, 2020
薪ストーブ
クライアントの話では、堅牢な家、留守がちな共働きでも安心な家を求めたのは、1995年の阪神淡路大震災を教訓にしたからだという。以来25年が経過した。
そして2011年に発生した東日本大震災後は、電力需要を見直し、カーポート屋根上に太陽光パネルを取り付けてもいた。そうしたクライアントの想いを設計者の私が知ることになるのは、北海道胆振東部地震の2018年、数日間の大停電の教訓から「薪ストーブ」を検討したいとの相談が寄せられた時だった。
それから2年、水まわり設備などの改修工事と共に「薪ストーブ」が玄関ホールに取り付けられた。
金曜日, 3月 13, 2020
ロングテールのミッション
月一掲載のコラム「ブロック住宅の系譜」今月は、過去30年のブロック住宅30軒をグラフで振り返ってみました。私どもの限られた活動範囲内の統計ではありますが世の中の動きを反映していることは明らかです。これからもロングテールで継続していくことが最低限のミッション、そう週刊ブロック通信社編集長からゲキがきました。
火曜日, 2月 18, 2020
木曜日, 2月 13, 2020
火曜日, 2月 04, 2020
ペーパークラフト版カスタマイズできる家
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