週刊ブロック通信のコラムです。「江別の平屋1」現場のブロック積が終わりました。
月曜日, 7月 20, 2020
水曜日, 6月 24, 2020
道具の周辺
道具の周辺、という記事を、週刊ブロック通信「コンクリートブロック住宅の系譜」に掲載しました。ブロック工事における詳細を記録するうえで必要な職人の道具を現場取材したものです。何一つ特殊なものはなく、他の工事でも使用されている道具が多くあります。つまり、左官工と鉄筋工、および大工に共通する工事なのだと道具から再認識します。平均10キログラム程度の重量物を片手で持ち上げる筋力が欠かせない力仕事ですから、筋力をアシストする最近の道具も必要になるのではないでしょうか。
日曜日, 6月 14, 2020
水曜日, 6月 03, 2020
スカート断熱
5月の週刊ブロック通信は、「スカート断熱」についてのレポートです。
積雪寒冷地の建築は、厳しい気候風土の制約のうえに成り立っているものだから、制約の少ない地域の建築とは異なる様々な創意工夫の技術があり、それが必要とされてきた歴史がある。そのひとつが、「スカート断熱」だ。
土曜日, 5月 30, 2020
ブロック積のショートビデオ~その1
コンクリートブロック積の様子をショートビデオにしました。
15センチ厚のブロックを軽々と持ち上げ水糸に沿って水平に並べる。微調整をするハンマー音だけが心地よく響く。静かな現場です。職人さんのマスクで息使いさえも聞こえない。
25秒のパフォーマンス。
木曜日, 4月 16, 2020
煙突と太陽光パネル
週刊ブロック通信の最新コラムです。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。
水曜日, 4月 01, 2020
ああ原点
1977年の文章を再録します。当時、弱冠26歳、仕事柄、環境や地域を考えだしたころ、北海道建設新聞という業界紙コラムに書いた。どういうわけか、時間経過を感じさせる黄ばんだ紙面が残っていた。いま思えば、日常の当事者意識ということを言いたかったのだろう。
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
当時サラメシで通ったレストランの壁にあったのを譲り受けた。石岡瑛子氏ディレクションで有名なポスター。 |
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
金曜日, 3月 20, 2020
軽量鉄骨梁ー3
火曜日, 3月 17, 2020
月曜日, 3月 16, 2020
薪ストーブ
クライアントの話では、堅牢な家、留守がちな共働きでも安心な家を求めたのは、1995年の阪神淡路大震災を教訓にしたからだという。以来25年が経過した。
そして2011年に発生した東日本大震災後は、電力需要を見直し、カーポート屋根上に太陽光パネルを取り付けてもいた。そうしたクライアントの想いを設計者の私が知ることになるのは、北海道胆振東部地震の2018年、数日間の大停電の教訓から「薪ストーブ」を検討したいとの相談が寄せられた時だった。
それから2年、水まわり設備などの改修工事と共に「薪ストーブ」が玄関ホールに取り付けられた。
金曜日, 3月 13, 2020
ロングテールのミッション
月一掲載のコラム「ブロック住宅の系譜」今月は、過去30年のブロック住宅30軒をグラフで振り返ってみました。私どもの限られた活動範囲内の統計ではありますが世の中の動きを反映していることは明らかです。これからもロングテールで継続していくことが最低限のミッション、そう週刊ブロック通信社編集長からゲキがきました。
火曜日, 2月 18, 2020
木曜日, 2月 13, 2020
火曜日, 2月 04, 2020
ペーパークラフト版カスタマイズできる家
木曜日, 1月 30, 2020
火曜日, 1月 21, 2020
GAJAPAN162~年の初めに
新年早々、本屋の行商人OさんがGAJAPAN162号を運んできてくれた。「建築2019/2020総括と展望、」という表題。Oさんが帰った後、おもむろに開いた。巻末近く「立衛散考ルイス・カーン2」に興味を持った。建築家・西沢立衛氏(以下立衛氏)が有名なルイス・カーンの建築論集「I love beginnings=わたしは元初を愛する」を読み解いている。最初に、ルイス・カーン(以下カーン)への感想と質問を持っている、と言う。テキストとして挙げている数冊は、私の本棚にもあるから、たぶん多くの建築家の本棚にもあるものだろう。私は、立衛氏がカーンに質問を持ちつつ読み進める姿勢に驚いた。そして立衛氏自身の建築設計の経験と重ねながらカーンの文章を消化吸収していく姿は実に見事だ。私は立衛氏が咀嚼してくれた栄養分を有難くいただく読者の一人。どれほどテキストを読み込んだらこのような論考にたどり着くのだろうかと…驚く。一般的に日本語は微妙なニュアンスを多様に表現できる言語と言われるのだが、英語もまたそうなのだろうと私は思う。beginning,beginnings,the beginningに見る数や冠詞の意味は深く大きい。立衛氏の文章が気づかせてくれる。ちなみに「立衛散考ルイス・カーン1」は、GAJAPAN161号巻末にある。そこには立衛氏のカーンとの出会い、が書かれている。
私自身のカーンとの出会いは、ほとんど予備知識なしにカーンの工事現場に足を踏み入れたことから始まる。1975年2月15日、その日は私自身の24回目の誕生日だった。4週間のインド・ネパール旅行の最終にバングラデシュを目指した。当時、首都ダッカは内戦や洪水の傷痕が残り、食料配給を待つ人々の行列や難民たちが累々と街中にあふれていた。私は、初めての土地にもかかわらず地図も持たず迷わず人力車に飛び乗り空港近くのバングラデシュ国会議事堂に向かった。実は、着陸する飛行機から建物の一部が運よく見えていたのだ。それは、工事現場そのものだった。議員宿舎棟が完成して職員が入居していたものの、ほぼ1年前、1974年3月17日にカーンが急逝した時点から工事がストップしていたようだ。私は、ちょうど出会った議事堂職員の案内で自由に見学することができた。と、いっても工事現場、勝手に見て行けといった具合で途中から職員もどこかに消えた。小一時間歩き回っただろうか。最初の場所に戻り振り返ると、先ほどの人力車夫が池でふんどし?一枚になって洗濯をしていた。私は、レンガ造建築群が白大理石で象嵌されたコンクリート造の議事堂を取り囲む全体配置がはっきり理解できた。その印象はレンガがことのほか強烈で、数週間前に見ていた仏教遺跡に建つレンガの塊ような仏塔が頭に浮かぶほどだった。それが、私のカーンとの出会い。今年、もう一度ルイス・カーンを読み直してみたい。
水曜日, 12月 18, 2019
コンクリートブロックマニア~キッチン
コンクリートブロックでいろいろな家具や器具を作ることができる。今回はキッチンを作った。コンクリートブロックはベースユニット、天板のステンレスを台座として支えている。内側にミーレの食洗器を格納した。独特の存在感は画像を見ていただくとわかる。
月曜日, 12月 16, 2019
コンクリートブロックマニア~ブロック造二重壁工法
左側から右側へ~外装材+空気層+断熱層+内部躯体、縦横つなぎ鉄筋。 |
「ブロック造二重壁工法とは、補強コンクリートブロック造を外断熱し、その外装仕上げにブロックを化粧積する工法をいう」(鈴木憲三氏、2006年日本建築学会技術報告集第16号より抜粋)北海道のコンクリートブロック造は、外断熱化の必要から内部を構造躯体に、外部を外装材とし、中間部に断熱層を設けた二重壁ブロック造住宅が出現して1970~80年代に一世を風靡した。内外共にブロックが見え、モノリシックでマッシブな壁体を表現でき、さまざまな設計の要望に応えることのできる工法になった。構造は、基礎と臥梁に挟まれたブロック壁体を鉄筋でつなぎ、ブロック強度および壁量と配置のバランスを考慮し調整する。中間部の断熱材は耐久性のあるポリスチレンボードを躯体側に固定する。外装材は帳壁として自立させ、倒れこみを抑えるためクランク状のつなぎ鉄筋を縦筋に絡め固定している。またコンクリートブロックの蓄熱性を生かした室内温熱環境が期待できる工法である。
土曜日, 12月 14, 2019
コンクリートブロックマニア~オキナワブロック
オキナワブロックは、魅力的な材料である。
「小屋群住居A」のキッチンと食卓に面するコンクリートブロック壁を何らかの方法で明るくする必要があり、いろいろ探している中でオキナワブロックという名称の透かしブロックいわゆる花ブロックに出会った。北海道の現場へ、生産地の沖縄から日本列島を縦断。
キッチン横のコンクリートブロック壁に14個のオキナワブロックを組み込む。光が透過する。
火曜日, 12月 10, 2019
連結農家、アノニマスな住居
最後の図は、数世代を経て成長した「連結農家」の姿です。南北方向に走る道路に沿って建てられた家屋が、道路に近いほうから順に奥へ向かって増築されています。風土の季節風の影響を避け、太陽の恵みを最大限に享受するかのように南側に庭が作られている。北海道と同じ冬の季節が厳しい米国NH(ニューハンプシャー州)の例です。また写真は、農家と断定することは出来ませんが同様に連結する建築として出会ったMA(マサチューセッツ州)の事例です。これらの観察から私の「小屋群住居」の発想が生まれたのです。
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