左上写真:スペイン大使婦人と歓談する中山公男委員長(右端)、右上写真:上遠野徹さん(左) 左下写真:眩しそうな顔の田上義也さん、左端は画家の国松登さん、右下写真:ガウディの原図 |
火曜日, 4月 02, 2013
1979
A・ガウディを深く知ることになったのは、1979年3月に開催された「ガウディー札幌展」でした。サグラダファミリアの展示室でも見ることのできないマタマーラ・コレクションを中核とした壮大な展覧会で、事務局長を北川フラム氏、今井兼次名誉委員長(当時早稲田大学名誉教授)をはじめ、中山公男委員長、委員に粟津潔、磯崎新氏などそうそうたる名がありました。札幌委員会も田上義也委員長、太田実副委員長、委員の上遠野徹、国松登氏などが名を連ねた。当時、私はハビタ北海道(北海道の環境を研究する会)という建築家集団の一員として展示の搬入やオープニングパーティの記録写真撮影のお手伝いをした。パーティの後、狸小路の居酒屋で中山公男さんと粟津潔さんから緊張しながらお話をお聞きした。ため息をついてばかりの若い私たちに、すぐにでもバルセロナに行って実物を見てきなさいと言われたのだが、私が実際に現地で実物に接することになったのは数十年も後のこと。途方もない時間が過ぎていた。
月曜日, 4月 01, 2013
1974
4月1日に合わせるかのように、アマゾンに発注していた書籍が英国からエアメールで届いた。私が社会人になった1974年に当時の雑誌・建築文化の海外書籍紹介欄で初めてお目にかかったEnzo Mariの家具プロジェクトを収めたスケッチブック風の小冊子で、数年前に復刻しているのを知っていた。DIYとも違う気高いデザインが満ちている。手に取って眺めているだけで満足しそうだ。
日曜日, 3月 31, 2013
年度末
火曜日, 3月 26, 2013
ロマンとリアル
24日早朝、北海道の建築家の先駆者・田上義也さんのTV番組「MODERN TIMES北海道 昭和の彩り・建築家田上義也」を観た。田上さんは大正12年の関東大震災を契機に、日本の中のアメリカ的風土の北海道に移住し、北海道に建築文化を植え付ける開拓者となった。番組は、昭和初期の代表作と当時の貴重な映像を編集した丁寧な作りとなっている。映像から伝わるシーンに、あらためて先駆者の覚悟と努力を想わざるを得ない。
観終わって私は、一人の名もない大工棟梁のことをぼんやりと考えていた。小樽に住みニシン番屋を手掛け、関東大震災の復興特需で東京に移り住むことになった大工棟梁・山田留三を知ったのは小樽祝津のニシン番屋を改修した時であった。一枚の棟札からその足跡を奇跡的に知ることができた。このことは、過去のブログでも繰り返し書いてきた。上京した当時、山田留三はすでに40代であった。リアルな現実を見つめて、自身の家族を引き連れての一大決心であったに違いない。
一方、田上さんが単身北海道の地を踏んだのは20代半ばで、若者ゆえのロマンと情熱に満ちた北帰行と言っていいだろう。ロマンとリアル、私の頭の中で両者の足跡が交差している。
小樽の写真館で撮影した、大工棟梁・山田留三(中央)~ご子孫の山田保之氏提供によるものを再録しました。
観終わって私は、一人の名もない大工棟梁のことをぼんやりと考えていた。小樽に住みニシン番屋を手掛け、関東大震災の復興特需で東京に移り住むことになった大工棟梁・山田留三を知ったのは小樽祝津のニシン番屋を改修した時であった。一枚の棟札からその足跡を奇跡的に知ることができた。このことは、過去のブログでも繰り返し書いてきた。上京した当時、山田留三はすでに40代であった。リアルな現実を見つめて、自身の家族を引き連れての一大決心であったに違いない。
一方、田上さんが単身北海道の地を踏んだのは20代半ばで、若者ゆえのロマンと情熱に満ちた北帰行と言っていいだろう。ロマンとリアル、私の頭の中で両者の足跡が交差している。
小樽の写真館で撮影した、大工棟梁・山田留三(中央)~ご子孫の山田保之氏提供によるものを再録しました。
日曜日, 3月 17, 2013
水曜日, 2月 27, 2013
10年(decade)
昨年末、10年を経過した住宅のクライアントから、見て欲しいという連絡があり伺った。心配していた灯油焚きのボイラーもまだまだ現役である。その話が、3月25日発売の「住まいNET北海道」に掲載されることになった。山鼻の2軒長屋です。
土曜日, 2月 23, 2013
当別町
23日、当別町内での打ち合わせの帰りの光景。打ち合わせに臨む心境そのままに、札幌の自宅を出発する時は晴天でしたが、当別町にさしかかる頃から吹雪もようで視界不良になり、3時間に及ぶ打ち合わせが終了してみると、一番の青空が 広がっていました。白い雪は敵にも味方にもなります。
月曜日, 2月 18, 2013
日曜日, 2月 17, 2013
オーバーハング
昨日降った雪は、ふわふわとした軽い雪だった。降り積もったのはほんの2〜3cm程であったが 、事務所の小さな看板のわずかな厚みにさえ美しいカタチを造っている。看板厚さの10倍以上もオーバーハングする恐るべき雪の造形力。 この時期の設計打合せには必ず雪の話題が出ます。そのほとんどは厄介者としての雪ですが、こんなユーモラスな雪の話題もたまにはいいね。
水曜日, 2月 13, 2013
5年ぶり
運転免許更新のため、札幌市手稲区の運転免許試験場に行ってきました 。ちょうど5年ぶりに新しい免許証をいただきました。今までの2倍の厚さで、個人情報が入ったICチップが挟まれている。太陽にすかしてみると 、なるほど5mm角の影が真ん中 に浮かんできた。臓器提供の意志表示カードにもなっている。
月曜日, 2月 11, 2013
モデリング
設計のいろいろな段階にふさわしいサイズや形の模型を作ります。スタートの段階では、敷地だけの模型。次の段階では、発砲スチレンを削っただけのボリューム模型。プランを検討する段階では内部が分かるサイズの模型。設計の進み方にあわせて精度が上がる。模型を使って設計を進めるモデリング、その大切な作業の一部をオープンデスクの学生さんたちと共に進めている。
木曜日, 2月 07, 2013
モンタージュ
白銀の庭を見下ろす窓際に置いて撮った模型写真。北国の季節感を伝えてくれる。
学生の頃にも同じことをしていたのを思い出した。
山に囲まれた大学の屋上、その上にあるペントハウスにタラップで昇り360度視界が開けたところに課題提出模型を置いて撮った。都会の学生にはまねができないだろうなどと思ったのはずいぶんと後のことだった。現在は、管理上の問題とかで屋上にも出られないのだろう。
模型は、今春着工予定の住宅です。 大きく架けた屋根が印象的。
学生の頃にも同じことをしていたのを思い出した。
山に囲まれた大学の屋上、その上にあるペントハウスにタラップで昇り360度視界が開けたところに課題提出模型を置いて撮った。都会の学生にはまねができないだろうなどと思ったのはずいぶんと後のことだった。現在は、管理上の問題とかで屋上にも出られないのだろう。
模型は、今春着工予定の住宅です。 大きく架けた屋根が印象的。
水曜日, 2月 06, 2013
月曜日, 2月 04, 2013
16:9
昨年から調子の悪いパソコンを1月末に入れ替えた。今までは、専門業者の方にお願いしていたのだが、今回はオンラインショップで購入した。場所をとらないディスプレイ一体型のもので、自宅にあるTVと同じメーカーのVAIO。現在はまだ少し不安なので従来機も並べて見比べながら、作業をしている。従来機からのデータ移動もクラウド経由で簡単にできる。ずいぶんと簡単になったものである。画面は横長16:9のハイビジョン仕様、LEDで明るくなって驚く。今までソフトと呼んでいたものがアプリ。従来機は、XPですからこの落差は当然でしょうか。マウスもキーボードも扱いやすい。なにはともあれ今年はこれで快適に仕事ができるといい。
日曜日, 1月 27, 2013
倉本たつひこ展
札幌市内中央区のギャラリー創で、倉本たつひこ展が開かれている。倉本たつひこさんは、言わずと知れた北海道の建築家です。20代に設計した、ニセコの「ばあちゃんち」で一躍注目された。
私の義兄が倉本さんの仲のよい幼なじみというご縁で、私が学生の頃からお付き合いさせていただいている。先日のギャラリートークで、今まで語られなかった建築への想いを新たに聴くことができた。私が1977年に撮ったニセコの写真を添えて展覧会へのオマージュとしたい。
私の義兄が倉本さんの仲のよい幼なじみというご縁で、私が学生の頃からお付き合いさせていただいている。先日のギャラリートークで、今まで語られなかった建築への想いを新たに聴くことができた。私が1977年に撮ったニセコの写真を添えて展覧会へのオマージュとしたい。
羊蹄山へ向けた屋根窓 |
背後から、手前は私が最初に購入した車で三菱ランサー |
ご両親が金魚を飼っていた池に映る姿は、コールハースのCCTVのようにダイナミック |
当時の倉本さんの愛車、VWビートルカブリオーレ |
金曜日, 1月 18, 2013
キッチン
小屋群住居Kのキッチンをご紹介します。業務用のオールステンレス製のものを希望されていたクライアントでしたが、場所の制約と予算の壁にはばまれ、それでもなおクライアントが厳選したカランやコンロ、そしてレンジフードを組み合わせたこだわりの特注家具として完成することができました。
水曜日, 1月 16, 2013
小屋群住居K
日曜日, 1月 06, 2013
生家
6日、TV観賞は「失恋建築家ガウディ」でした。2年前の再放送と言うことでしたが観ていなかったので興味深く、またちょうど2年前のその頃、私もバルセロナに行っていたこともあり楽しませてもらいました。ガウディの生家は、レウスの街からさらに入ったリュードムスというところにあります。現在は修復復原されています。4階建ての間口の狭い町家で、1階には父親の仕事場が、最上階にはガウディ研究者の田中裕也さんのドローイング展示室がありました。田中裕也さんのガイドでとても充実したガウディツアーに参加させていただいたことを今、楽しく想い出しています。
生家のファサード。軒先に荷揚げ用の滑車が見えます。 |
1階奥にある生家の仕事場。父親は銅の鍛金職人でした。 |
最上階にある田中裕也さんのドローイング展示室。前列右のジーンズ姿が田中裕也さん。 |
生家の窓から見た向こう三軒の町家。スペイン瓦屋根がきれいです。 |
見学の後は近くのレストランへ。 |
おいしい昼食です。 |
さらに街からはなれ、オリーブ畑の中にある母親の実家の前で記念撮影です。 |
水曜日, 1月 02, 2013
日曜日, 12月 30, 2012
年末の現場
29日、札幌市内の現場の仕事納め。新年、2週間後の引渡しに向けて、最後の点検を行なった。1階は補強コンクリートブロック造、2階は木造の混構造住宅です。小屋群住居と呼び、建物を小屋状に分割し、太陽の向きや人や車の出入方向など敷地の性格に合わせて連続して配置しています。
外断熱仕様の住宅で、暖房を止めた状態でも陽ざしさえあればとても暖かいエコハウスです。色使いや建具.家具の意匠などにレトロな暖かさを感じることのできる住宅になりました。
外断熱仕様の住宅で、暖房を止めた状態でも陽ざしさえあればとても暖かいエコハウスです。色使いや建具.家具の意匠などにレトロな暖かさを感じることのできる住宅になりました。
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