建築に深い造詣があった丸山さんは、最後の旅行先にF・ゲーリーのビルバオグッゲンハイム美術館を訪れている。石だけで、これだけのものが表現できる。
金曜日, 4月 26, 2013
記念碑
当別町での打合せの帰路、いつか見ておきたいと思っていた記念碑を初めて訪れた。googleで検索して場所はすぐわかったのだが、打合せが迫っていたため探し当てたのは、あたりがうす暗くなってからだ。施主であり、尊敬する友人でもあった彫刻家・丸山隆さんが死の淵で製作した遺作。11年前、除幕式の前々日に惜しくも他界した。つい最近雪の中から顔を出したばかりであろう彫刻は、まるで棺のような揺り籠のような原初的な空間を持つシェルターを表現しているように見えた。
建築に深い造詣があった丸山さんは、最後の旅行先にF・ゲーリーのビルバオグッゲンハイム美術館を訪れている。石だけで、これだけのものが表現できる。
建築に深い造詣があった丸山さんは、最後の旅行先にF・ゲーリーのビルバオグッゲンハイム美術館を訪れている。石だけで、これだけのものが表現できる。
土曜日, 4月 20, 2013
書店閉店
日曜日, 4月 14, 2013
1961室蘭
昨日、某計画の現地調査で室蘭入りしました。室蘭は、想い出がたくさんある土地です。この地で小学校中学年から高校受験まで、そして大学4年間延べ10年間を過ごしました。この時期は、室蘭市の人口が増え続け1969年にはピークの16万人を数えています。現在、人口は当時のおよそ半数9万人に減少。港の工場地帯はかつての活況が嘘のように静かに見えます。洗濯物が真っ赤になるような工場排煙もない美しい青空が広がっています。帰路、母恋駅(ぼこいえき)に立ち寄りました。(1961~62)小学校4~5年時の担任・仁岸トモエ先生が始めた「母恋駅を愛する会」のイベントが第二土曜日に開かれていることを先月新聞で知ったのです。残念ながら、ご本人にはお会いできませんでしたが、なんと17年間継続しています。土地を地域を愛する心は強いですね。
駅はピーク時には1日平均約8千人の利用があったが、現在は100人ほど。(朝日新聞記事より抜粋) |
水曜日, 4月 10, 2013
2004~グレイの家
7日(日曜日)の午後、現在設計中のオーナーさんとともに過去の類似住宅の外観を見てまわりました。札幌市内の「グレーの家」(2004年竣工、補強コンクリートブロック造、2階建、166.44㎡)の木部塗装がきれいに塗り替えられていた。しばらく外観を見ていたところ、建て主のYさんに気づかれてしまった。オリジナルの配色のままに修復したという。愛着を持ってメンテナンスされていることを知って、嬉しかった。ちなみに塗装は黒とグレイの市松模様がテーマになっている。当時、設計中に行くことになった米国への研究調査の折、NYで見たチェッカー模様が気になりデザインしたものだ。市松模様は、全世界のいたるところで見られるものだが、時間と場所を超えて私たちの心に訴えかけるものがあると思う。いわば、丘の上のマンハッタンチェック。
土曜日, 4月 06, 2013
スウェーデン式サウンディング試験
地盤調査(スウェーデン式サウンディング試験)を朝一の打合せに合わせて実施した。公開されている近隣データであらかじめ予想を立てておきながら、実際に建築される位置で調査をします。
速報値では近隣データよりも良い数値が得られたという。データの最終結果を待っている。
帰りがけにもうひとつ、スウェーデンハウスの立ち並ぶ当別町のスウェーデンヒルズの下を通った。
なぜスウェーデン式というのか、「1917頃、スウェーデン国有鉄道不良路盤の試験方法として採用し、その後スカンジナビア諸国で普及した。日本では、1954年頃に建設省が河川堤防の地盤調査として導入。1976年にはJIS規格に制定され、住宅建築の際の地盤調査に用いられている」とウィキペディアにある。
速報値では近隣データよりも良い数値が得られたという。データの最終結果を待っている。
帰りがけにもうひとつ、スウェーデンハウスの立ち並ぶ当別町のスウェーデンヒルズの下を通った。
なぜスウェーデン式というのか、「1917頃、スウェーデン国有鉄道不良路盤の試験方法として採用し、その後スカンジナビア諸国で普及した。日本では、1954年頃に建設省が河川堤防の地盤調査として導入。1976年にはJIS規格に制定され、住宅建築の際の地盤調査に用いられている」とウィキペディアにある。
地盤調査重機がトラックの荷台に格納されている。調査が無事終了。 |
建設敷地のまわりには雪が堆積しています。 |
火曜日, 4月 02, 2013
1979
A・ガウディを深く知ることになったのは、1979年3月に開催された「ガウディー札幌展」でした。サグラダファミリアの展示室でも見ることのできないマタマーラ・コレクションを中核とした壮大な展覧会で、事務局長を北川フラム氏、今井兼次名誉委員長(当時早稲田大学名誉教授)をはじめ、中山公男委員長、委員に粟津潔、磯崎新氏などそうそうたる名がありました。札幌委員会も田上義也委員長、太田実副委員長、委員の上遠野徹、国松登氏などが名を連ねた。当時、私はハビタ北海道(北海道の環境を研究する会)という建築家集団の一員として展示の搬入やオープニングパーティの記録写真撮影のお手伝いをした。パーティの後、狸小路の居酒屋で中山公男さんと粟津潔さんから緊張しながらお話をお聞きした。ため息をついてばかりの若い私たちに、すぐにでもバルセロナに行って実物を見てきなさいと言われたのだが、私が実際に現地で実物に接することになったのは数十年も後のこと。途方もない時間が過ぎていた。
左上写真:スペイン大使婦人と歓談する中山公男委員長(右端)、右上写真:上遠野徹さん(左) 左下写真:眩しそうな顔の田上義也さん、左端は画家の国松登さん、右下写真:ガウディの原図 |
月曜日, 4月 01, 2013
1974
4月1日に合わせるかのように、アマゾンに発注していた書籍が英国からエアメールで届いた。私が社会人になった1974年に当時の雑誌・建築文化の海外書籍紹介欄で初めてお目にかかったEnzo Mariの家具プロジェクトを収めたスケッチブック風の小冊子で、数年前に復刻しているのを知っていた。DIYとも違う気高いデザインが満ちている。手に取って眺めているだけで満足しそうだ。
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