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月曜日, 2月 08, 2021

コンクリートブロックのシンポジウム

2月25日にオンラインと建築会館で行われます。「かつて北海道では、住宅の発表といえばコンクリートブロックだった」と新建築の元編集長が吐露したことがあります。しかしコンクリートブロックの住宅が今ほとんど作られないのはなぜでしょうか、私は工法そのものの問題ではなく作る側の建築家に動機が失われているのではないかと考え始めています。
建築家は工法選択に際してフラットに考えているもので、木造やRC造、そしてS造など採用は建物の要求条件に従い自由に選択するものだと思うからです。

 

木曜日, 2月 04, 2021

北海道民の愛着・コンクリートブロック

 


北海道の人はコンクリートブロックへの愛着がありますね。先日、コンクリートブロックのオンライン会議で本州の参加者から言われた。なるほどそうかも知れない。どうしてなのだろう?と考えて、ふと思い出した一冊。19752月発行のニコンシステムガイドつまりカタログで当時札幌にあったソヤマ写真館でカメラ購入時に頂戴したもの。今、執筆者を見ると写真誌。それほど詳しくない私でも、土門拳、細江英公、奈良原一高、立木義浩、そして篠山紀信はわかる。北海道の南を移動している時に道端で見かけた廃屋を撮ったものだと説明があった。北海道には胸を打つコンクリートブロック風景が身近にある、いやあったのだということをこの一枚が証明している。このカタログには北海道の風景が他にもたくさん載っている。永久保存版。


水曜日, 2月 03, 2021

江別の平屋2


「江別の平屋2」建設、中間レポートです。昨年完成の「江別の平屋1」同様、補強コンクリートブロック造、一部木造の住宅です。居間集中の北海道型平面を新解釈した平面を持ち、居間中央にハイサイドライトからの光を有効に取り込む特徴的な断面をつくっている。


 

火曜日, 1月 05, 2021

資料集めの横道で、マティスに出会う

 現在、とある教会堂を設計している。設計というのは、いろいろ地道な作業が必要で、設計する建物に関連した資料を集める地味な作業もその一つだ。しかしgoogle検索で瞬時に様々な情報を集められる現在は、パソコンに向かう意思さえあればそれほど退屈な時間ではない。それどころか興味をそそられ、つい横道にそれてしまう情報に出会うこともある。

昨年、教会堂の画像検索をしていて、白い壁にカラフルなステンドグラスのある小さな教会堂が目に留まった。アンリ・マティスの設計したロザリオ教会堂だった。私が初めてマティスの絵を意識したのは、池田満寿夫が「美の王国の入り口で」の文中でMOMA所蔵の「ダンス」に感動した、という文章を読んだ時だった。いつか本物をと思ってはいたが、十数年前NYに行くことができた時は当の美術館が増築工事中で入ることすらできなかった。今年、国立新美術館でマティス展が予定されているという。そこにはロザリオ教会堂の展示もあるという。コロナ禍が収束していたら是非観たいものだ。その前に、この一冊を読んでおこう。


金曜日, 1月 01, 2021

2021年 新年あけましておめでとうございます。週刊ブロック通信 令和3年1月1日号です。

元旦号はカラー印刷になり晴れがましく、今年も新たな気持ちで始動できそうな予感です。

南幌で始めた、十字プランとハイサイドライトのある中心空間に、外部の要素を取り込む。

江別の平屋1(木とコンクリートブロックの家)が、最初の厳しい北国の冬を迎えている。
 

火曜日, 12月 29, 2020

美しが丘の家(2006年)の改修

 2006年完成の「美しが丘の家」は現在のオーナーが3代目。歴代で最も若い世代。そのせいなのかは不明ではあるが、改修はオリジナルに近づけたいという要望。設計者としては嬉しい限り。実は、その間のオーナーたちは私が予想もしなかった、こういう手もあったと思わせる改修をしてくれていた。それはそれで良かったが、設計者を立ててくれるのは正直ありがたい。

朽ちていたウッドデッキは、コンクリートの一枚スラブに変身した。隣地に倒れこむ枕木の擁壁は地中に鉄筋バックアンカーを打ちターンバックルで締めた。木製サッシは、風化具合を点検しながら汚れ止めを兼ねて黒に塗装した。15年目を迎える外壁のコンクリートブロックは全く問題ない、いい具合にエイジングしている。外装材としてのコンクリートブロックは、優秀だ。

オーナーは、家具のコレクターでもある。ピート・へイン・イークの机が鎮座している。

ウッドデッキは一枚スラブに。「コンセプトは外の居間」という春の庭づくりも楽しみ。

土曜日, 12月 05, 2020

そして組積造

 週刊ブロック通信の11月30日号に、「そして組積造」と題して寄稿している。風土や歴史から建築をつくるとは、そして素材から設計することとは何であったかをいま一度考えようと思いました。


水曜日, 10月 21, 2020

木とコンクリートブロックの家

 週刊ブロック通信に「江別の平屋」が掲載されています。

写真は佐々木育弥さん。クライアントを画面に取り込むのが上手い。

日曜日, 10月 11, 2020

カーポートは外の部屋

10月になって、冬タイヤの交換日を予約することになった。もうすぐ、白い雪の季節がやってくるのだ。本当は、雪をこの目で見てから慌てて車のディーラーの担当者に連絡するのがお約束で、今年はまだ雪の気配がないからと高をくくっているつもりだった。天気予報と仕事のスケジュールをにらみながら、雪と競争するような感覚が楽しかったのだが、そうした慌ただしさを楽しむ体力が無くなってきた。雪国では、車に対してもひと手間かけなければならない。

そうしたひと手間をかけるための半屋外空間がカーポートなのである。カーポートは、車を守るためのものではなく、運転する人を守るためのものだと言っていい。



水曜日, 9月 30, 2020

内覧会(オープンハウス)無事終了しました

 26,27の両日、開催した「木とコンクリートブロックの家」の内覧会(オープンハウス)が無事終了しました。直前のご案内にも関わらず、たくさんのご来場を感謝しています。

また、クライアント様のご協力を得てこうした内覧会の機会を作りたいと考えています。



月曜日, 9月 21, 2020

「木とコンクリートブロックの家」内覧会のご案内

江別市大麻(おおあさ)新町18-2
にて、内覧会をいたします。
詳細は、下記にてご確認ください。



 

金曜日, 8月 21, 2020

月曜日, 7月 20, 2020

ブロック積工事の完成

週刊ブロック通信のコラムです。「江別の平屋1」現場のブロック積が終わりました。

水曜日, 6月 24, 2020

道具の周辺

道具の周辺、という記事を、週刊ブロック通信「コンクリートブロック住宅の系譜」に掲載しました。ブロック工事における詳細を記録するうえで必要な職人の道具を現場取材したものです。何一つ特殊なものはなく、他の工事でも使用されている道具が多くあります。つまり、左官工と鉄筋工、および大工に共通する工事なのだと道具から再認識します。平均10キログラム程度の重量物を片手で持ち上げる筋力が欠かせない力仕事ですから、筋力をアシストする最近の道具も必要になるのではないでしょうか。

日曜日, 6月 14, 2020

建築家とつくる家

現場のシート養生に大きく「建築家と作る家」と掲げた。建築の中身が伝わるように、コンクリートブロック積作業の一部を動画で載せています。

水曜日, 6月 03, 2020

スカート断熱

5月の週刊ブロック通信は、「スカート断熱」についてのレポートです。
積雪寒冷地の建築は、厳しい気候風土の制約のうえに成り立っているものだから、制約の少ない地域の建築とは異なる様々な創意工夫の技術があり、それが必要とされてきた歴史がある。そのひとつが、「スカート断熱」だ。


土曜日, 5月 30, 2020

ブロック積のショートビデオ~その1

コンクリートブロック積の様子をショートビデオにしました。
15センチ厚のブロックを軽々と持ち上げ水糸に沿って水平に並べる。微調整をするハンマー音だけが心地よく響く。静かな現場です。職人さんのマスクで息使いさえも聞こえない。
25秒のパフォーマンス。

木曜日, 4月 16, 2020

煙突と太陽光パネル

週刊ブロック通信の最新コラムです。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。

水曜日, 4月 01, 2020

ああ原点

1977年の文章を再録します。当時、弱冠26歳、仕事柄、環境や地域を考えだしたころ、北海道建設新聞という業界紙コラムに書いた。どういうわけか、時間経過を感じさせる黄ばんだ紙面が残っていた。いま思えば、日常の当事者意識ということを言いたかったのだろう。
当時サラメシで通ったレストランの壁にあったのを譲り受けた。石岡瑛子氏ディレクションで有名なポスター。

ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。