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水曜日, 5月 05, 2010

居間の風景(view of room)

南側の庭に庇が伸び間口いっぱいの開口がある。東側にペレットストーブとTV、西側に二人掛けのソファがある。さほど広くはない居間だが、居心地は最高だ。今日は休日、朝からBS放送のMLB中継を楽しんでいる施主。


最近、私が思い描く居間の基本路線。定番仕様は、床と天井が北海道産の無垢板、壁は水性塗装、建具は木製断熱サッシだ。

月曜日, 5月 03, 2010

祝津のステイルーフ

落雪防止屋根工法という雪止めを兼ねたガルバリウム鋼板長尺葺き屋根である。小樽祝津鰊番屋の屋根工事では、20数メートルの長尺となった。現場までの道のりには3つのトンネルがあり、それを通過してこなければならなかった。事前にトレーラー運転手が下見をして慎重に運搬したという。ここにも現場のこだわりがある。

金曜日, 4月 30, 2010

休日の家

休日は木立に囲まれて静かに読書や庭仕事などをしながら過したい。昼寝はウッドデッキで背中に暖かい日差しを受けながら。時間が来れば料理が呼んでくれる。そんな隠れ家。オーベルジュの計画案です。いつかどこかで実現する日を待っています。

木曜日, 4月 29, 2010

変化と継承

晩ごはんを食べながら、6大学のピッチャーだったという爽やか新キャスター氏のNHKニュース9TVを見ていた。歌舞伎座の建物が60年の幕を閉じ、3年後に新装なるというので設計者の隈研吾氏が「現代の建築家として、時代の要請と歴史の継承を考えた図面を引いている」とインタビューに風格ある姿で応えていた。


数日前「小樽祝津の鰊番屋完成を記念するフォーラム」開催が、6月中旬の工事竣工と同時に行なうことが決定した。ここ数日は、フォーラムで話すことを漠然と考えていた。鰊番屋もまた時代の要請として地域の会館として使用し、あわよくば運河に続く小樽の観光名所に育てと期待されつつ、同時に100年物の魚場建築遺構として歴史の継承をする。まさにその間(はざま)で現代の建築家としての私が図面を引いているのだが。現実は、施工を担当する工務店さんと共に、限られた厳しい予算と法規のしばりの中で毎日のように頭を悩ませている。

写真は祝津番屋通りの白鳥家番屋で明治10年代の建設、近年飲食店として再生。

水曜日, 4月 28, 2010

インテリアと景観

先日、久しぶりに江別市大麻の「ウッドいのうえ」ショールームへお邪魔しました。日頃は建築用木材の商社として、床フローリングや外壁板材など多種の北海道産無垢材を提供していただいています。当日は北欧や北米の香りのするインテリアや小物に囲まれて、しばらく楽しい時間を過しました。江別西インター近く、サイロや牧舎の景観がショールームの雰囲気とたいへんよく合っています。

火曜日, 4月 27, 2010

発寒の家再訪


27日、午前中に札幌市内の「発寒の家」へ向かう。12年前に竣工した住宅であるが、室内は、ほとんど当時のままだ。緊急のメンテナンスと、うれしいことに増築計画もあるという。南側隣地にあり居間の日除けともなっていた栗の大木が、今はない。数年前日除けをテント用キャンバス地で製作し、庇に固定した。写真は、かつて栗の木があった南側からのアングル。

金曜日, 4月 23, 2010

落雪防止屋根工法

23日午後、小樽へ向かう。発注者主催の会議があり、監理者として工事の進捗状況などを報告した。現在、鰊番屋現場は外部の屋根板金工事、そして内部はネダイ等の修復工事にかかっている。

屋根は厚0.35mmのガルバリウム鋼板の落雪防止屋根工法、いわゆるステイルーフ。
軒先の積雪荷重を軽減するため、軒先約1m部分は雪が滑りやすく積もりにくい横葺きとした。

今回の修復工事は、建物のおよそ半分を地域の町内会館として使用する。そもそも明治末期に作られた魚場建築に断熱など期待できるはずもない。既存の大屋根の中に、断熱材で囲われた町内会館部分をいわば「入れ子」として設けている。この部分では、しっかりと床・壁・天井を断熱し、弱点となる窓は高性能なトリプルガラス入りの木製断熱サッシを入れた。


日曜日, 4月 18, 2010

魅力的な敷地

18日午後、同業者の建築家・アカサカシンイチロウ氏の自邸を見学させていただいた。

まだ雪が残る札幌市中央区円山西町の奥深い住宅地に建っている。北海道らしい自然が魅力的な敷地だ。

金曜日, 4月 16, 2010

同期(synchronization)

iPhoneを使っていて、事務所のパソコンのデータを共有して持ち歩くときに同期作業をする。最近よく目にする言葉だが、どこか耳慣れない。うーん、高校の同期とでも言うのならならよくわかるのだが。ウィキペディアによると、同期 (どうき) は、複数の事象(イベント)が同時に起こること、という。


複製や同調といった概念とも違う。シャッターとストロボの関係などでなじみがあるシンクロと言えばわかりやすいだろうか。美しく咲いたクンシランに人のココロも同期できたらいい。

水曜日, 4月 14, 2010

春の庭Ⅱ

14日、早朝から雪模様。自宅庭は見ているうちに白色に変わる。すぐ消えるのを知っているから春の雪は綺麗だ、と余裕を持って見ていられる。

日曜日, 4月 11, 2010

春の庭

すっかり雪が消え自宅庭にも春が訪れた11日、ツツジやバラ数本の雪囲いを片付けた。雪囲いに使われていた荒縄をガーデンストーブで燃やし暖をとりながら。植物の新芽は、いまだ出ていない。

金曜日, 4月 09, 2010

小樽市祝津は、海が近くに感じられる場所である。ここまで来ていて海を見なければ意味がないとばかりに、海に近づくとマリーナでは大勢の若者がヨット整備をしていた。
遠く、手稲山や札幌市内の高層ビルも見えるのである。


9日は早朝から小樽祝津の鰊番屋に向かった。設備配管工事の屋内床下掘削にあわせ、小樽市教育委員会による埋蔵物調査があった。明治期の建築は基礎が比較的浅く、したがって建物の下に古い埋蔵物が保存されている可能性があったが、土砂以外は何も出てこなかった。

木曜日, 4月 08, 2010

外部足場

7日、すっかり雪が消えつつある札幌近郊の山々を眺めながら小樽祝津へ向かう。


鰊番屋修復工事現場では積雪も消えて、外部足場が架けられ屋根や外壁の工事の準備が整いつつある。しかし気温は上がらず、日が当たらない室内はいまだ冷蔵庫の中のように寒い。

水曜日, 4月 07, 2010

4.6

20年前の昨日、1990年4月6日に山之内建築研究所がスタートしました。これからも、よろしくお願いいたします。事務所兼自宅SHINKOTONI-HOUSINGの模型です。


当時の学生アルバイトで、現在は設計事務所を主宰しているN君の製作。

木曜日, 4月 01, 2010

フールオンザヒル

数年来、月一でユニバーサルデザインの会合をしている。子供からお年寄り、障害者や外国人すべての人たちが宿泊できる居心地のよいホテルを作りたいと考えている。ホテルのマネージメントを専門にしてきたある人物を代表者にして、ユニバーサルデザインの専門家、医師、福祉機器開発者、そして建築家がメンバーに名を連ねている。アイディアは溢れるほどあるのだが、肝心の資金がない。資金提供の話もないわけではないが、ひも付きの資金は欲しくないのが全員の一致した意見。どこかに金は出すが口は出さないという奇特な御仁はいらっしゃらないものだろうか。北海道S市の公的な施設を活用する計画に参画したこともあったが、当局の方針転換で腰くだけになった。写真は、日本海に面するR市を見下ろす千望台という丘の上に計画したユニバーサルデザインホテルの模型。


ビートルズの歌ではないけれど、いつ実現するのかあてもない夢に向かって夕陽をあびている丘の上の愚か者(the fool on the hill)のようだ。きょう、4月1日に思う。

水曜日, 3月 24, 2010

朝陽

24日、朝陽が差して気持ちがいい。事務所入口、外部階段、自宅庭、遠く手稲山を望む。こんな日は仕事が軽快にはかどるような予感がする。


月曜日, 3月 22, 2010

冬に逆戻り

22日、昨夜から雪が降り冬景色の再来。自宅の庭もすっかり冬に逆戻りです。今月の卒業式や来月の入学式の頃には時々このような春の嵐がやってくる。研究者の話では、凍結融解を繰り返して雪の比重が一番大きく重たくなるのがこの時期だとか。

日曜日, 3月 21, 2010

強風

21日朝、強い風の音とバタバタする金属音で目が覚めた。週末は大荒れの天気が予想されていた。しばらくして、音の原因が分かった。外部階段の雨よけとして後付した樹脂製波板屋根が、折からの風でめくれ上がっている。さっそく業者さんに一報を入れ相談したものの、今日は休日なのですぐには動けないのだという。

ならば自分で何とかするしかない。さっそくホームセンターへ走り波板用かさ釘を入手。少し風が静まるのを待って、屋根に上り応急修理をした。すでに、一部がはがれてしまっているのだが、これ以上の被害はなんとか食い止められたようだ。積雪があるときは気がつかなかったが樹脂板の劣化も相当進んできたのでこれを機会に取替えよう。
波板屋根見上げ使用した、かさ釘

木曜日, 3月 18, 2010

暖かい光

17日、東芝ライテックでは白熱電球120年の歴史に幕をおろし、生産を終了したという。その理由は1973年ピーク時の1/10まで減少した生産量、今後はエネルギー効率の良いLEDや電球型蛍光ランプを生産するのだという。1973年といえば、まさに私が建築学生の頃、ローソクの光に近いという理由で白熱灯を熱く信奉していた時代だ。今、私たちのクライアントは省エネを是とし、また演色性にすぐれた白熱電球にかわる蛍光灯電球やLED電球も身近になった。写真は、いつまでも生産を終了することがないだろうローソクの暖かい光。

水曜日, 3月 17, 2010

スケルトン模型

設計の意図を整理するために、また施工手順を打合せするために骨組みの模型を制作することがある。実際に手で荷重をかけてみて、模型自体の強度やたわみの傾向をある程度推測することもできる。写真は、「白い陸屋根の家」のもの。