週刊ブロック通信の最新コラムです。
こうした業界紙、この場合はコンクリート関連業種ですが、日々の業界の動きドキュメントが記事になる。現在、多くの企業で通常勤務が在宅勤務となり、展示会・イベントや会議が自粛されているため取材のネタに困るのだという。そこで、今まで直接足で稼いでいた取材をオンラインでするらしい。考えてみればこのコラムも一方的なデータ送信による入稿だから、同じようなものかとも思うがどうだろう。好き勝手にテーマを決めて原稿をいろいろ募れば、意外と面白い紙面が作れるのかもしれない。編集者の意思がなければただのアンケート集で業界紙にならないかもしれないが…とそんなことを考えたりしている。
木曜日, 4月 16, 2020
水曜日, 4月 01, 2020
ああ原点
1977年の文章を再録します。当時、弱冠26歳、仕事柄、環境や地域を考えだしたころ、北海道建設新聞という業界紙コラムに書いた。どういうわけか、時間経過を感じさせる黄ばんだ紙面が残っていた。いま思えば、日常の当事者意識ということを言いたかったのだろう。
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
当時サラメシで通ったレストランの壁にあったのを譲り受けた。石岡瑛子氏ディレクションで有名なポスター。 |
ああ原点~強い太陽に着色された青空。赤茶色の砂漠。三人の女たちがこちらを向いている。それぞれに幼児を腰に乗せるように抱きかかえている。その身体を薄い原色のサリーが包む。褐色の額とみけんに紅化粧が見える。銀の髪飾り、鼻輪、白いブレスレットがわきのすぐ下まで連なっているのが見える。黒い影を映す砂を踏みしめた裸足の足首に鈴の付いた足輪が見える。ふと目を頭の右上に向けると「ああ原点」、目を足もとに落とすと「PARCO」の文字が印刷されている。最近見たポスターだ。幼児の抱き方、アクセサリーの数、様式のある服装などに「インド女」というステレオタイプ化したイメージを持ってしまう。そして、文字を読ませ、記憶させてしまう。コマーシャルポスターの役割は、それで十分果たされたことになる。しかし、僕の目の中には「インド女」「原点」「PARCO」といった記憶された文字と映像とがいつまでも併置されたままだ。それらが重なり合ってこない。分かりすぎるせいかもしれない。「インド女=原点=PARCO」といったお調子の良さに閉口しているといったらいいだろうか。たちどころに了解してしまう号令。厚さを持たないペラペラの紙面にプリントされた、表面そのものとしての号令が、僕の目の中を堂々巡りする。
そして印度~昨年の暮れ、ある集まりで「そして印度」と題したスライドを映したことがあった。インドの雑多なスナップ写真と札幌のそれを重ね合わせることによって生じるズレを見ようとする試みだった。その時、距離ということがキーワードとしてあった。単に比較としてのズレではない。絶対的ともいえる距離のズレをはっきりさせる。そうして、地点そのものに迫ろうとした。しかし、小細工ともいえる操作性だけが目立ってしまうことになって、なかなか要領を得ないまま距離という言葉だけが頭に残ることになった。バス停までの距離、そしてインドまでの距離。日常、そして非日常。それらがなんらかの関係を成立させようとする。ポスターを見たのは、ちょうどそんな時だった。ひょういと来たバスに乗り込み、降りた地点がカジュラホ村、赤茶色したその砂の上、褐色の裸足のインド女たちに出会うことができる。また次のバス停は、朝もやの中、真っ赤な太陽が昇るベナレスのガンガで彼女たちと再会することができる。そして、直に来た帰りのバスで、一足飛びに元のバス停に降り立つことができる。そんな具合にポスターは僕らを手招きしていないだろうか。彼女たちへの膨大な距離などこれっぽちも感じ取れないだろう。手垢にまみれているはずの距離は清潔に洗い落とされ、触れることの警戒心などちっとも抱かせないのだ。物価以外は十年来変化ないと言われるインド。そのインド女とファッション。この奇妙な組み合わせの表面に見え隠れするものはいったい何なのだろう。
距離~どこからでもいい。いま200メートルほど先までの距離をどれほど詳しく記憶しているだろうか。自信をもって思い出せる距離は意外と短く不連続ではないだろうか。バス停までの距離はそういった日常そのものとしての距離の別名だ。歩き慣れた、目をつむっていても歩けるバス停までの距離。それを、まさに目をつむって歩いていたのではあるまいかと考えたとき、インドまでの距離という非日常がズレとして出現する。
いま、環境・地域といった時、この二つの距離はどのような意味を帯びるのだろうか。
登録:
投稿 (Atom)