私自身のカーンとの出会いは、ほとんど予備知識なしにカーンの工事現場に足を踏み入れたことから始まる。1975年2月15日、その日は私自身の24回目の誕生日だった。4週間のインド・ネパール旅行の最終にバングラデシュを目指した。当時、首都ダッカは内戦や洪水の傷痕が残り、食料配給を待つ人々の行列や難民たちが累々と街中にあふれていた。私は、初めての土地にもかかわらず地図も持たず迷わず人力車に飛び乗り空港近くのバングラデシュ国会議事堂に向かった。実は、着陸する飛行機から建物の一部が運よく見えていたのだ。それは、工事現場そのものだった。議員宿舎棟が完成して職員が入居していたものの、ほぼ1年前、1974年3月17日にカーンが急逝した時点から工事がストップしていたようだ。私は、ちょうど出会った議事堂職員の案内で自由に見学することができた。と、いっても工事現場、勝手に見て行けといった具合で途中から職員もどこかに消えた。小一時間歩き回っただろうか。最初の場所に戻り振り返ると、先ほどの人力車夫が池でふんどし?一枚になって洗濯をしていた。私は、レンガ造建築群が白大理石で象嵌されたコンクリート造の議事堂を取り囲む全体配置がはっきり理解できた。その印象はレンガがことのほか強烈で、数週間前に見ていた仏教遺跡に建つレンガの塊ような仏塔が頭に浮かぶほどだった。それが、私のカーンとの出会い。今年、もう一度ルイス・カーンを読み直してみたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿