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火曜日, 7月 30, 2013

ダリ版画展

26日の旭川スクール講演会の翌日、北海道立旭川美術館で始まったばかりの「奇才・ダリ版画展」を観た。版画ばかりを集めた素晴らしい展覧会。2010年に、ダリの生まれ故郷フィゲラスにあるダリ美術館を訪れた。ダリの世界を堪能することができる場所だったが、今回ほどの量の版画は見なかったように思う。改めてすごさを実感した。
北海道立旭川美術館のHPより

フィゲラスのダリ美術館中庭~フラードームが見える
同上、中庭
同上、彫刻~ダリ美術館は写真OKだったが、今回の展覧会はNG

水曜日, 7月 24, 2013

「JIA旭川スクール6」のご案内

今週末26日(金)旭川市内にある東海大学旭川キャンパスにて講演会をいたします。講師は、東海大学の大矢二郎先生と私・山之内裕一が努めます。38年前に偶然立ち寄ったバングラデシュ・ダッカ、建設中であった国会議事堂を見学したときの今となっては貴重な写真をお見せしながら、カーンとはどんな建築家なのか、今なぜカーンなのか、私はその時何を見たのか、などなど少ない時間ながら話してみたいと思っています。私が撮ったカラースライドがほとんどですが、一緒にダッカに行った友人の狩谷茂夫君からも写真を数枚提供してもらいました。私の写真と共に使用しますが、モノクロームの迫力ある写真が実に素晴らしいです。当時の様子を生々しく伝えています。

講演会 :7月26日(金)18:30~
場  所:東海大学旭川キャンパス松前記念図書館コレクション室
入  場:無料

土曜日, 7月 06, 2013

私のルイスカーン#5

今月26日に、旭川東海大学でルイスカーンの建築について、むかし撮った写真を見ながら見学体験談を話すことになった。当日は、東海大学の大矢二郎先生がキンベル美術館とソーク研究所、私がバングラデシュ国会議事堂とエクセター図書館を担当する。エクセター図書館は、2003年10月に米国への調査旅行の際に立ち寄った。明治期の北海道の住宅が北米の強い影響を受けているという駒木定正さんの研究をサポートする調査旅行だった。ボストンでの半日の空き時間に、同行の中渡憲彦さんに運転をお任せして、高速道路をひた走り目的地を目指した。運よく道に迷わず図書館にたどり着くことができたが、見学時間は限られていて文字通りのかけ足見学だった。
じっくり、空間を味わうといったことや気になる寸法を計測するといった時間はなかった。
今回、バングラデシュ国会議事堂と比較することで、さまざまな興味ある共通点が見えてきた。26日のプレゼンでは、今回整理することで見えてきたそのあたりの話をしてみたいと思っている。


月曜日, 7月 01, 2013

私のルイスカーン#4

カタチの不思議にとりつかれたように、正方形、円形、三角形の本をつくったブルーノムナーリのことを知ったのは、バングラデシュでルイス・カーンの強烈な洗礼を受けた直後だった。そして、円形建築という分野を開拓した坂本鹿名夫という建築家の名前に出会ったのもちょうどその頃だ。東京都小金井市の公会堂は坂本鹿名夫の設計になる。以前、隣接の図書館で彼の作品集を読んだことがあるのだが、B・フラーとの出会いなど円形建築への熱い想いが伝わってくるものだった。ごく最近では、アップル本社(設計:ノーマンフォスター)計画案の見事な円形デザインが記憶に新しい。
時代を超えて、地域を超えて、文化を超えてカタチの不思議は私たちの前に立ち現れる。
1975年撮影、バングラデシュ国会議事堂東ウイング議員宿舎棟ベランダの円形開口(設計:ルイス・カーン)

金曜日, 6月 28, 2013

私のルイスカーン#3

学生時代に建築の授業で洋書を翻訳する時間があった。配布されたプリントには、建築物の荷重を垂直に地面へ伝えるアーチの仕組みや考え方について書いてあった。その時私は、構造を数式や図などに頼らず言葉だけで表現できることに、新鮮な驚きを感じた。ルイスカーンは建築を語る。その言葉通りにレンガ建築は、開口部にアーチを用い、どのように小さな開口部でも徹底的にアーチが繰り返されている。正方形開口部は水平アーチ、正円開口部は上下の半円アーチを組み合わせている。写真で2階建ての正円アーチをよく観察すると、最も荷重を負担する1階下半分は3重アーチになっているのが分かる。1階の正円開口は2階のそれよりふた回り程度小さい。また、プレキャストコンクリートのタイビームが見える、これはアーチのレンガと組み合わされて柱梁構造のような繊細さを開口部に与えている。開口部は上の階ほど大きく、逆に壁面積は下の方ほど大きい構造理念が視覚化されている。
1975年撮影、バングラデシュ国会議事堂議員宿舎棟(設計:ルイス・カーン)

木曜日, 6月 27, 2013

私のルイスカーン#2

スライドポジフィルムからJPEGデータに作り直して行く作業は、手持ちの古いスキャナーで十分だった。ばらばらに詰め込まれたフィルムを撮影順に並べ替えて、当時の記憶を引きだしながら当日どのような経路をたどったのかを推理する作業は、楽しい。向けられた被写体が私自身の興味のありかを示している。レンガ造の議員宿舎や大臣宿舎を見学しながら、中央にあるコンクリートの議事堂を早く見たいという気持ちでいるのだ。シリンダーやキューブの積み木のような姿は、ファティプルシクリの有機的な赤砂岩建築や、ジャンタルマンタルの幾何学的な日時計建築を見たとき同様の驚きがあった。そのうえ、建設中なのだ。建築現場には、出来上がった後の洗練された姿にはない迫力があるものだ。それにしても、この白大理石の目地はどういう意味があるのだろう。地元の人たちが着ているサリーの布の縁取りのようにも、羊や牛から樹木を守るための竹で編んだ籠のようにも見えた。地と図の関係のように、強く意味を発している目地は現場作業ではコンクリートの打継の印でもあっただろう。図面上で推測すると、目地は1.5m程度の間隔に入っている。
丁度仕上がりの良いコンクリートが打てる高さでもある。レンガが職人の手になじむサイズになっているのと同様に、この目地は1回のコンクリート打設になじむサイズを示している。それを、30数段積んでいる、まさにこれは視覚的に組積造を表現していると言っていいのではないか。
1975年撮影 バングラデシュ国会議事堂南面モスク入口(設計:ルイスカーン)


水曜日, 6月 26, 2013

私のルイスカーン

JIA旭川の軽部さんからお誘いがあって、7月末に東海大学旭川校で「私のルイスカーン」というシンポジウムにパネラーとして参加することになった。大先輩で本職の大矢二郎先生がもう一人のパネラーということで、私は数少ない体験を語れば良いのだと気楽に構えている。カーン没後の翌年1975年にインド・ネパール旅行の機会があり、たまたまビザなしで3日間のバングラデシュ行きを決行した。ルイスカーンのダッカ国会議事堂が見たいと、それが街の一体どこにあるのか果たして見学できるのかさえ全く知らない行き当たりばったりの旅だった。空港に降り立つと何と目の前に建設中の国会議事堂が見えているではないか!早速、全くのアポなし地図なし予備知識なしの突撃建築見学が始まった。ちょうどその日は、私の24歳の誕生日でもあった。
シンポジウムでは、その時撮影したスライド写真を見ながら「ダッカの3日間」を語りたいと考えています。「私のルイスカーン」は、工藤国雄氏の名著のタイトル。今回は出版ではないもののご本人の了解を得たいと思い、名工大時代から工藤氏と親交のある友人の建築家・山田茂樹氏に問い合わせたところ、そんなことを気にする人ではないという。ならば、有難くそのまま勝手に使わせていただくことにしています。
1975年撮影、バングラデシュ国会議事堂正面(設計:ルイス・カーン)

土曜日, 6月 22, 2013

CBの現場

札幌市北区にあるCB(コンクリートブロック)造住宅の現場では、基礎のコンクリート打設が終わった。CB造では、臥梁と基礎をつなぐ縦筋を先行して設置する。分棟計画のため住居部は基礎断熱し、車庫部は断熱なしとしている。

敷地全景縦筋が林立
住宅部基礎断熱

基礎断熱なしの車庫部

木曜日, 6月 06, 2013

6月

6月も第二週の後半、北国札幌にも初夏の訪れを感じます。自然も人も一気に全開モードに突入という、今までゆったりと流れていた時間がうそのように、急速に凝縮されるような季節になりました。
と思っていたら、バルセロナのレストラン「クワトロ・ガッツ」のコーヒーカップが届いた。なんとBS日テレの旅番組「旅の窓から」バルセロナ編の視聴者プレゼントの当たったのです。ガウディの一番弟子ジュジョールの設計した建物が現在カフェとして営業しているという情報だった。今度バルセロナに行く機会があれば、ピカソの愛したクワトロ・ガッツとともに訪れてみたい、そう思いながらしばし時間を忘れる。



木曜日, 5月 30, 2013

現場2013

札幌市内で、現場がスタートしました。今春竣工した「小屋群住居K」と同じ、コンクリートブロック造に木造を組み合わせた大小の小屋で構成されています。仮に「小屋群住居O」と呼ぶことにしました。
杭施工を終えたところです。順次、アップしていきます。
敷地全景

杭です。φ250の5M長さで、合計60本以上施工しています。

水曜日, 5月 22, 2013

建築家パネル展開催中

建築家カタログ第5集の発行記念のパネル展が、紀伊國屋書店札幌本店2階ギャラリースペースで5月23日(木)午後6時まで開催されています。
イス席も用意されています。
建築家カタログは、第一集が2002年に発行された。コマーシャリズムにふさわしい建築家カタログというネーミングは、関西からのもの。1992年にスタートした住宅部会(JIA北海道支部)の自前の出版活動として位置づけられた。建築家が社会に必要とされる職能として、一般の人々と私たち専門家のコミュニケーションを目的にした活動である。その意味で建築家らしさがどう伝わっているのか、大いに気になるところである。

日曜日, 5月 12, 2013

地鎮祭~小屋群住居#2

11日、小雨模様のなか札幌市内で地鎮祭がおこなわれた。昨年に引き続きコンクリートブロックの住宅です。独立した車庫と住宅を渡り廊下でつなぐ「小屋群住居シリーズ」。今回は、360度どの角度からも眺められる島のような敷地が与えられた。

小屋群住居~住宅と車庫が中庭を介してつながっている。



火曜日, 5月 07, 2013

建築家カタログ第5集

先月末に発行された「建築家カタログ第5集」の紹介です。建築家カタログは、日本建築家協会(JIA)近畿・東海支部住宅部会が1990年代に発行したのが始まりです。北海道では2002年に第1集が出て、以来数年毎に発行されてきました。一人でも多くの方に建築家のつくる住宅の良さを知ってもらい、住宅は何はともあれ建築家に相談しようという流れをつくるのが私たちの願いです。

私も、今年完成したばかりの一番新しい住宅を掲載しています。是非、手に取ってご覧ください。

1974年に発行された「都市住宅別冊・住宅第6集」(鹿島出版会)を書棚の隅から引っ張り出しました。昨日のことです。あるページに「シリンダー381」の設計者・村口昌之さんが~1974年3月14日午後、室蘭工業大学建築工学科の泉清人助教授とその学生10名が見学に来た~とコメントを残しています。卒業式までの間に首都圏の建築を見て回ろうと企画した見学旅行で、私は10名の学生の中の一人。とにかく建築を見て回るのがとても楽しかった記憶があります。以来40年、建築を見てもらう側にシフトした現在、建築の楽しさを一人でも多くの方に感応してもらいたいと思っています。

金曜日, 4月 26, 2013

記念碑

当別町での打合せの帰路、いつか見ておきたいと思っていた記念碑を初めて訪れた。googleで検索して場所はすぐわかったのだが、打合せが迫っていたため探し当てたのは、あたりがうす暗くなってからだ。施主であり、尊敬する友人でもあった彫刻家・丸山隆さんが死の淵で製作した遺作。11年前、除幕式の前々日に惜しくも他界した。つい最近雪の中から顔を出したばかりであろう彫刻は、まるで棺のような揺り籠のような原初的な空間を持つシェルターを表現しているように見えた。
建築に深い造詣があった丸山さんは、最後の旅行先にF・ゲーリーのビルバオグッゲンハイム美術館を訪れている。石だけで、これだけのものが表現できる。




土曜日, 4月 20, 2013

書店閉店

19日の朝刊で、札幌市内の老舗書店が閉店するという記事。駅前通りのアテネ書房、そして大通りのリーブルなにわ書店だ。勤め帰りや、ちょっとした時間つぶしにはもってこいの書店だった。美術書や建築専門書も置いてあり、ときに急場の図書館代わりにもなった。アテネ書房では、近くに職場があった高校の同級生にばったり出会うこともあった。狭い間口と奥行きのある店内、町家のような居心地の良さがあった。駅前から大通りまでの地下歩行空間ができて、人の流れは地下にもぐった。地下には地下の良さがある。地上の書店には、地下にはまだない良さがあった。
4.19道内版朝日新聞から

日曜日, 4月 14, 2013

1961室蘭

昨日、某計画の現地調査で室蘭入りしました。室蘭は、想い出がたくさんある土地です。この地で小学校中学年から高校受験まで、そして大学4年間延べ10年間を過ごしました。この時期は、室蘭市の人口が増え続け1969年にはピークの16万人を数えています。現在、人口は当時のおよそ半数9万人に減少。港の工場地帯はかつての活況が嘘のように静かに見えます。洗濯物が真っ赤になるような工場排煙もない美しい青空が広がっています。帰路、母恋駅(ぼこいえき)に立ち寄りました。(1961~62)小学校4~5年時の担任・仁岸トモエ先生が始めた「母恋駅を愛する会」のイベントが第二土曜日に開かれていることを先月新聞で知ったのです。残念ながら、ご本人にはお会いできませんでしたが、なんと17年間継続しています。土地を地域を愛する心は強いですね。
駅はピーク時には1日平均約8千人の利用があったが、現在は100人ほど。(朝日新聞記事より抜粋)

水曜日, 4月 10, 2013

2004~グレイの家

7日(日曜日)の午後、現在設計中のオーナーさんとともに過去の類似住宅の外観を見てまわりました。札幌市内の「グレーの家」(2004年竣工、補強コンクリートブロック造、2階建、166.44㎡)の木部塗装がきれいに塗り替えられていた。しばらく外観を見ていたところ、建て主のYさんに気づかれてしまった。オリジナルの配色のままに修復したという。愛着を持ってメンテナンスされていることを知って、嬉しかった。ちなみに塗装は黒とグレイの市松模様がテーマになっている。当時、設計中に行くことになった米国への研究調査の折、NYで見たチェッカー模様が気になりデザインしたものだ。市松模様は、全世界のいたるところで見られるものだが、時間と場所を超えて私たちの心に訴えかけるものがあると思う。いわば、丘の上のマンハッタンチェック。

土曜日, 4月 06, 2013

スウェーデン式サウンディング試験

地盤調査(スウェーデン式サウンディング試験)を朝一の打合せに合わせて実施した。公開されている近隣データであらかじめ予想を立てておきながら、実際に建築される位置で調査をします。
速報値では近隣データよりも良い数値が得られたという。データの最終結果を待っている。
帰りがけにもうひとつ、スウェーデンハウスの立ち並ぶ当別町のスウェーデンヒルズの下を通った。
なぜスウェーデン式というのか、「1917頃、スウェーデン国有鉄道不良路盤の試験方法として採用し、その後スカンジナビア諸国で普及した。日本では、1954年頃に建設省が河川堤防の地盤調査として導入。1976年にはJIS規格に制定され、住宅建築の際の地盤調査に用いられている」とウィキペディアにある。
地盤調査重機がトラックの荷台に格納されている。調査が無事終了。

建設敷地のまわりには雪が堆積しています。

火曜日, 4月 02, 2013

1979

A・ガウディを深く知ることになったのは、1979年3月に開催された「ガウディー札幌展」でした。サグラダファミリアの展示室でも見ることのできないマタマーラ・コレクションを中核とした壮大な展覧会で、事務局長を北川フラム氏、今井兼次名誉委員長(当時早稲田大学名誉教授)をはじめ、中山公男委員長、委員に粟津潔、磯崎新氏などそうそうたる名がありました。札幌委員会も田上義也委員長、太田実副委員長、委員の上遠野徹、国松登氏などが名を連ねた。当時、私はハビタ北海道(北海道の環境を研究する会)という建築家集団の一員として展示の搬入やオープニングパーティの記録写真撮影のお手伝いをした。パーティの後、狸小路の居酒屋で中山公男さんと粟津潔さんから緊張しながらお話をお聞きした。ため息をついてばかりの若い私たちに、すぐにでもバルセロナに行って実物を見てきなさいと言われたのだが、私が実際に現地で実物に接することになったのは数十年も後のこと。途方もない時間が過ぎていた。
左上写真:スペイン大使婦人と歓談する中山公男委員長(右端)、右上写真:上遠野徹さん(左)
左下写真:眩しそうな顔の田上義也さん、左端は画家の国松登さん、右下写真:ガウディの原図

月曜日, 4月 01, 2013

1974

4月1日に合わせるかのように、アマゾンに発注していた書籍が英国からエアメールで届いた。私が社会人になった1974年に当時の雑誌・建築文化の海外書籍紹介欄で初めてお目にかかったEnzo Mariの家具プロジェクトを収めたスケッチブック風の小冊子で、数年前に復刻しているのを知っていた。DIYとも違う気高いデザインが満ちている。手に取って眺めているだけで満足しそうだ。