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金曜日, 5月 17, 2019

赤心社の物語~人物

建築の設計監理では「地域の歴史」と直接かかわることがあります。かつてかかわった「小樽祝津のニシン番屋」では、私たちを含めた復原チームが発見した一枚の棟札から当時の大工棟梁の個人史が100年の時空を超えてよみがえりました。建築の背後に広がる「地域の歴史」を知ることは、建築の読み解きに大きな力を与えてくれるだけではなく、何より物語そのものが面白いのです。
現在、私は浦河で赤心社という木造の店舗兼事務所を設計監理中です。そこには長い歴史があります。「赤心社は、キリスト者の開拓集団のために北海道日高地方の浦河に設立された組織である。(ウィキペディアより)」始めは開拓集団の中心人物、澤茂吉の話です。

慶應義塾大学出版会による三田評論に北海道の開拓者として紹介されていますので、一部引用します。(2011年11月号~加藤三明・慶應義塾幼稚舎長)
澤茂吉(さわしげきち)は、嘉永6(1853)年、摂津三田藩士の長男として生まれ、明治4年から慶應義塾で学ぶが、二年後、夫に先立たれ、次男、三男を失った母の希望で退塾、帰省して、酪農に従事する。明治8年洗礼を受け、同10年から二年間、神戸ホーム(現神戸女学院)で教鞭をとる。同15年、旧三田藩士を中心とするキリスト教開拓結社の赤心社に入社する。赤心は「まごころ」「偽りない心」を意味し、赤心社は、理想郷を築こうと明治13年に鈴木清らによって設立された結社である。中略。そこで、開拓には優れた指導者が必要だとして茂吉に声が掛かったのである。

写真は、澤茂吉翁の胸像で、浦河町役場荻伏支所の前庭に建てられています。像の製作は、彫刻家・本郷新。